阿波重松城(七人塚)

住所:徳島県名西郡石井町石井重松

 築城年代は不明。城主は近藤氏とされるが、地元では井内正広と伝わる。1582年、中富川の戦いで十河存保に大勝した長宗我部元親は余勢を駆って阿波各地の城を次々と落としていった。落とされた城の落武者七人が当城の門前に来て助けを求めたが、城主・正広は追撃してくる長宗我部軍に入り混まれるのを防ぐためか門を開けなかった。そのため七人は門前で自害して果てている。
 当時は飯尾川を天然の濠として内側には空堀と土塁を築いていたというが、現在遺構はない。

(城趾碑)

(亡くなった七人を祀る七人塚と馬頭観音)

(全景)

感想:周囲の道が狭く空き地もなかったので車を駐める場所を探すのに苦労しました。


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阿波轟城(近藤氏の居城)

住所:徳島県名西郡石井町浦庄下浦

 築城の時期は不明だが、三好氏の家臣・近藤正次が居城としていた。1581年、阿波を侵略していた長宗我部元親は諸将を阿波一宮城に集め、三好氏の本拠地・勝瑞城を叩こうとした。その前哨戦として当城を攻撃したが十河存保率いる援軍のため撃退されている。翌年の中富川の戦いで存保が阿波から撤退すると長宗我部の大軍に攻められ落城している。
 城は東西と南に水堀が巡らされ、北には飯尾川が流れている堅城であったという。

(本丸跡に建つ祠と碑)

(近くに建つもう一つの碑と供養塔?)

(城趾に地蔵が建っていたが城との関係は不明)

(全景)

感想:徳島線の下浦駅から北に50メートルも行かないところにあったのに飯尾川沿いをずっと探し回っていました。近所の方に聞いてやっと場所が分かりました。


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阿波秋月城(細川和之の墓)

住所:徳島県阿波市秋月

 1336年、足利尊氏の重臣・細川和之が築城。和之は当地を中心として尊氏の九州からの上洛を支え湊川の戦いで活躍している。1339年、和之は夢窓疎石を開山として城内に補陀寺(のちの阿波安国寺)を創建。1363年、細川詮春が阿波勝瑞城に移るまで阿波の政治・文化の中心だった。
 その後も秋月氏が居城としたが天正年間(1573~1592年)に落とされている。落城させたのは長宗我部元親だったと思われる。
 
(阿波安国寺跡)

(写真中央の宝篋印塔が細川和之の墓)

(城を廻っている間、この犬がずっと一定の距離を保ちながらついてきて吠えていた)

(模擬櫓?)

(櫓から阿波市内を望む)

(山頂。ここに城趾碑があったようなのだが・・・。撤去されたのだろうか)

感想:秋月歴史公園になっているにも関わらず入り口が分からなくて難儀した。看板が立っていたのに・・・。あと説明版などがあったらしいですが、見つけられませんでした。


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