大黒屋光太夫記念館 冬の企画展「光太夫が書いたロシア文字」

住所:三重県鈴鹿市若松中1ー1-8

 2013年1月12日(土)、2年前に訪れた大黒屋光太夫記念館に再訪した。何となく寄った記念館だったけど、入館して光太夫の略歴を知り不屈の精神に感動して小説や関係資料を読むようになった。
 ちなみに最初は近くの若松小学校内に資料室が設けられていただけだったが、2005年に現在の記念館が建てられている。詳しいことは大黒屋光太夫記念館の公式サイトをご覧下さい。

(記念館)

(記念館の前に建つ大黒屋光太夫の像)

 今回の企画「光太夫が書いたロシア文字」では、光太夫が作った和露辞典や、頼まれて書いた「鶴」「福寿」という縁起のいい言葉を綴ったものが展示してあった。
 昔は帰国後に軟禁生活を強いられていた悲劇の人と考えられていたが、1986年に若松小学校が百年史作成のため調査したところ帰郷していたことが分かり、それまでのイメージが一変した。
 光太夫は江戸で軟禁されていた訳ではなくロシアで得た知識を幕府や知識人に必要とされ留まっていただけのようだ。事実、蘭学者らと新年会を祝いロシア語を披露し妻も娶るなど自由な生活を送っている。
 展示会が終わった後は光太夫の菩提寺や供養碑などを廻った。最後に大黒屋光太夫のお酒を買おうと思ったけど、どこに売っているのか分からなかったので諦めた。




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四国遍路―さまざまな祈りの世界

 私は長宗我部が好きで何度も四国に行っているため、段々と行きたいところが減って来た。そこで四国と言えば遍路ということで、最近は四国霊場八十八ヶ所の寺に長宗我部とは関係が無くても寄っている。
 しかし何も知らないのは失礼だと思い何冊か遍路に関する本を借りたが、ほとんどがお寺の紹介や作法もしくは自身の体験談に関するものばかり。そんな中で遍路の形成や現在の歩き遍路ブームなど俯瞰的な視点からまとめた著書が「四国遍路―さまざまな祈りの世界(出版社: 吉川弘文館、著:星野英紀・浅川泰宏)」である。
 モータリゼーションによる遍路の劇的な変化、歩き遍路への回帰、信仰のための巡礼をしている「おへんろさん」と貧困のために四国を廻っているため忌み嫌われる「へんど」の違い、など他の遍路本では取り上げられない内容が載っている。著者の一人が徳島県出身のためか徳島と高知に関する事例が多かった。
 特に興味深かったのが天保の大飢饉で接待を求め四国に渡る人達と、土佐藩の遍路に対する規制である。江戸時代の遍路に対する当時の人の考え方が多少なりとも理解できた気がする。
 遍路そのものを知りたいと思っている方には良書だと思う。



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