宮後城(蜂須賀家政生誕之地)

住所:愛知県江南市宮後町八幡

 築城年代は不明。応永年間(1394~1428年)に安井氏が居城していた。小牧・長久手の戦いで羽柴秀吉軍の城として利用されたが、和睦後に破却されている。遺構は残っていない。

(城趾碑)

(市制五十年記念で植えられた蜂須賀桜。行ったのが7月だったので桜の花は見られなかった)

蜂須賀家政生誕之地の碑。これって『武功夜話』を参考にしてあるらしいけど、正しいんだろうか・・・? もう一つ参考文献として載っていた『張州府志』もどのくらい信用できるものなのか私には分かりません)




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富士塚の碑(徳川家康敵情視察の地)

住所:愛知県江南市南山町

 490年頃の前方後円墳と伝わっており、周辺からは埴輪や土師器などが見つかっている。1584年の小牧・長久手の戦いでは徳川家康が小折城を訪ねた帰りに、この富士塚から敵情を視察し、小牧山城の先取りを決意したといわれている。1682年、生駒家の六代目当主・利勝が林信篤に碑詞を依頼し石碑を建てた。亀型の台石の上に建立されたため『お亀塚』とも呼ばれる。

(富士塚全景)

(富士塚の碑)

(富士塚から眼下に望む。当時は塚に生えている木も無く高い建物が周辺に無かったので敵陣が一望できたのだろう)




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久昌寺(生駒氏の墓)

住所:愛知県江南市小折字郷中1684

 曹洞宗。1384年、林朝忠が禅喜寺を創建。1387年に寺号が龍徳寺に改められる。その後、大和から生駒屋敷に移り住んだ生駒氏が菩提寺とした。生駒家宗の娘が織田信長の側室となり二男一女を生むが1566年に亡くなったため、当寺に葬られた。その際に寺号が戒名から取って久昌寺と改められている。

(入り口)

(本堂)

(生駒家累代の墓)

(織田信長の側室(一般には吉乃の名で知られている)の墓)




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