備前岡山城(宇喜多家・池田家の居城)

住所:岡山県岡山市北区丸の内

 別名・烏城。もとは備前にある小さな城の一つに過ぎなかったが、1573年に宇喜多直家が大改修を行う。その子・秀家も改修を引き継ぎ三層の天守を中心とした城と岡山市の基礎となる街造りを行った。
 しかし秀家が関ヶ原の戦いで敗れると、代わりに小早川秀秋が城主となる。しかしこれも僅か数年で跡継ぎが無く死亡したため、池田忠継が城主となった。その後、明治維新まで12代にわたって池田家が城主を務める。維新後も天守は残ったが、1945年の岡山での空襲で焼け落ちてしまう。
 現在は1966年に再建された天守などがある。

(岡山城全景)

(小納戸櫓下の石垣。池田忠継が築いたといわれる)

(再建された廊下門)

(宇喜多氏の顕彰碑)

(宇喜多秀家時代の石垣)

(現存する月見櫓。国指定重要文化財)

(再建された不明門)

(再建された天守)

(後楽園)




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正楽寺(高力清長・西郷稠頼の墓)

住所:愛知県額田郡幸田町大草寺西6

 浄土真宗大谷派。もとは天台宗だったが、浄土真宗が普及すると改宗している。岡崎城主・西郷氏の菩提寺となるが、西郷氏の末裔と正楽寺が共に三河一向一揆に味方したため廃寺となる。しかし慶長年間(1596~1615年)に再興された。

(山門)

(鐘楼門)

(本堂)

(左が高力清長、中央は西郷稠頼の墓。清長は三河三奉行の一人として知られる。稠頼は三河大草城(現在の正楽寺)から岡崎城まで勢力を広げたが、南進してきた松平氏に降伏し一族となっている)




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願照寺(阿部忠正の墓)

住所:愛知県岡崎市舳越町本郷32

 浄土真宗本願寺派。親鸞の弟子・専信房専海の開基である。阿部一族の墓が近くにある。

(山門)

(親鸞の像)

(本堂)

(小針城主・阿部忠正の墓。松平氏が安祥城主となると息子を松平氏の家臣にしている。子孫は備後福山城主となった。忠正の墓は写真の一番右の大きなものだと思う)

感想:阿部氏の墓の場所が分からず探し回りました・・・。




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