六栗城(夏目吉信の墓)

住所:愛知県額田郡幸田町大字六栗字山屋敷

 夏目氏の居城。夏目吉信は三河一向一揆に加担したが徳川家康に許され、のちに三方ヶ原の戦いで家康の身代わりとなって討ち死にした。

(屋敷跡推定値)

(城跡近くにある吉信の菩提寺・明善寺)

(明善寺近くに建つ夏目吉信らの墓。右から吉信、吉信の父・吉久、吉信の子・吉為)

(近くにあるクロガネモチの木。県下最大とのこと。城趾や墓から多少離れている)

感想:有名な次郎左衛門吉信の墓が三河にあるとは最近まで知りませんでした。フォロワーさんのつぶやきのおかげです。




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上ノ郷城(鵜殿長照の居城)

住所:愛知県蒲郡市神ノ郷町城山

 築城した人物・年代ともに不明。戦国時代には今川氏に従った鵜殿氏の居城となる。桶狭間の戦い後、三河の豪族の中には今川氏真から離れ徳川家康についた者も多くいたが、当時上ノ郷城の城主だった鵜殿長照は氏真と姻戚関係にあったため今川家に留まる。そのため、1562年に三河統一を進める徳川家康は長照の籠もる上ノ郷城を落城させ長照を自害に追い込んだ。この時、息子の氏長は捕らえられ、氏真の元にいた家康の妻(築山殿)と子(信康)と交換に利用されている。
 落城後は家康の家臣・久松俊勝が城主となった。家康の関東移封後、池田輝政の所領となったがやがて廃城となる。
 現在は大半がミカン畑になっているが、本曲輪や土塁など遺構も残っている。

(虎口)

(城趾碑)

(本曲輪)

(曲輪)

(本曲輪から蒲郡市内を望む)

感想:近くの西郡公民館に駐めて歩いて行きました。


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御油の松並木(豊川市)

住所:愛知県豊川市御油町

 1604年、徳川家康が大久保長安に松並木の整備を命じる。植えられた松が夏は日差しから冬は寒風から旅人の身を守った。一方で維持のため近隣の村への負担が大きく苦労したことが伝わっている。現在も600メートルもの松並木が続いている。

(御油宿本陣跡)

(現存する松並木。国の天然記念物)

(松並木)

感想:道が狭いため、資料館に駐めて歩きました。その資料館で歴史を勉強してから行くと、よりいっそう楽しめると思います。




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