遍昭院(見返弘法大師)

住所:愛知県知立市弘法町弘法山19番地

 真言宗豊山派。三河三弘法の第一番札所。815年、空海が東国に巡行する際に当地に一ヶ月逗留し、旅立つ時に自身が刻んだ三体の自像を本尊として創建したという。そのうち一体が別れを惜しんでやや右を向いているため見返弘法大師と呼ばれている。江戸時代には刈谷藩の庇護を受けた。

(山門)

(慈水大師。ここの水は仏事に使用されるらしい。霊験あらたかのようだが、生のまま飲むと危険とのこと)

(本堂)

(奥の院)

(子育大師)

(薬師堂)

感想:ストレートな住所と寺号が気になって行ってみました。これで真言宗以外の宗派だったら驚きでしたが、もちろんそんなことはありませんでした。




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重原陣屋(福島藩の飛び地)

住所:愛知県刈谷市下重原町

 刈谷藩は財政難から農民に重税を強いたため、1790年に一揆が起こる。そのため刈谷藩は幕府から村替えの処分を受けて重原など一部の村が福島藩の領地となった。福島藩は三河を治めるため重原に陣屋を建てたのが重原陣屋である。

(浄福寺の横に建つ陣屋跡の碑)

(願行寺の山門として移築された陣屋の正門)




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大久保陣屋(大久保彦左衞門の陣屋跡・平岩氏発祥地)

住所:愛知県額田郡幸田町坂崎字御屋敷

 1614年、天下のご意見番として知られる大久保彦左衞門忠教が陣屋を築いたのが始まり。忠教は小田原城主で甥の忠隣に2千石で仕えていたが、忠隣が改易されたため1千石の旗本となり、この陣屋周辺に領地を与えられている。

(陣屋跡に建つ八百富神社)

(鳥居の近くに残る陣屋の石垣)

(境内にある平岩の射割石。近くにある坂崎城の城主となった松平氏の家臣・氏重は、この名石から姓を取って「平岩」としている。その子孫が徳川家康の家臣として活躍し尾張犬山城主となった平岩親吉である。明治になって用水路の橋材として利用されていたが、不要となったため境内に移転された)

感想:隣接する坂崎公民館の駐車場が広いため、そちらを利用しましょう。


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