光明城(光明寺遺跡)

住所:静岡県浜松市天竜区山東字光明山

 享禄年間(1528~1532年)、朝比奈氏によって築城されたといわれる。元亀年間(1570~1573年)に武田家の支城して利用された。1575年、徳川家康に落とされ大久保忠世の家臣が城代となる。武田家滅亡後に廃城になったと推測されている。

(城の石垣・・・と言いたいところだが、これは行基によって717年に創建された光明寺のもの。大伽藍があったが、1931年の火災のため灰燼に帰し移転された)

(光明寺の山門跡)

(寺の跡。寺のどの辺りかは不明)

(城の中曲輪)

(堀切)

(光明城攻めで戦死した家康の家臣五人を祀る五人塚)

(井戸跡)

(光明寺跡から浜松市街地・遠州灘方面を望む)

感想:午前中が大雨だったため、城に行くまでの道で何ヶ所も崩れた石が落ちてました。道は整備されていますが狭いため雨の日は危険なので行かない方が安全です。




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遠江二俣城(徳川・武田抗争の城)

住所:静岡県浜松市天竜区二俣町二俣

 築城年代は不明。天竜川と二俣川に挟まれた標高90メートルの丘に築かれた山城。1569~1575年の間、徳川家と武田家の抗争の舞台となる。1575年に長篠の戦いで武田家が大敗し力を失うと家康のものとなり、重臣・大久保忠世が城主となった。1579年、家康の嫡子・信康がこの城で切腹している。1590年、家康が関東に移封されると浜松城主になった堀尾吉晴の管理下となったが、関ヶ原の戦いで堀尾氏が出雲に移封されると廃城となった。

(二俣城入り口。この先にあるトイレの辺りにセンサーがあり、通り過ぎると音声による城の説明が始まる)

(北曲輪跡に建つ旭ヶ丘神社。日清・日露・満州事変・太平洋戦争で亡くなった人を祀る)

(虎口)

(本丸跡)

(本丸跡に残る土塁)

(天守台跡)

(二俣城から見た天竜川)

感想:現在も二俣城の辺りは川に挟まれており、攻めるのが容易ではなかったことが推測されます。




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鳳来寺・鳳来山東照宮

住所:愛知県新城市門谷字鳳来寺1

 真言宗五智教団の本山。703年、利修仙人が開基し文武天皇から鳳来寺の名を賜る。松平広忠が鳳来寺で天下を取る男子を祈願して授かったのが徳川家康だという伝承が残る。真偽はともかく徳川家との所縁が深く江戸幕府から厚い保護を受けた。
 鳳来山東照宮は家康に関する伝承を知った徳川家光が東照宮の新設を決め、1651年に家綱の代になって落成している。

(標高695メートルの鳳来山から眼下の町を望む)

(東照宮の鳥居)

(東照宮拝殿へと続く石段。ここには東照宮を警備する番所があった)

(国指定重要文化財・東照宮拝殿)

(拝殿横にある狛犬。近くの札に『戦場に召されし兵の守りとて 身を削られき狛犬われは』と書いてあった。ネットで検索したところ、太平洋戦争中に家康の武運にあやかって削ってお守りにしたとのこと。現在の狛犬は建て直されたものだそうです)

(鳳来寺の本堂。家康に関する逸話から子宝に恵まれる寺として知られる)

感想:強風と大雨でびしょびしょになり、とてもゆっくり見られる状況ではありませんでした・・・。




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