2012年四国史跡巡り(3日目その1:下元興宣の墓・佐竹義秀の五輪塔)

 2012年4月30日(月)、今日で高知県とはお別れ。史跡を廻りながら愛媛県に向かう。

13.下元興宣の墓・・・高知県須崎市下分甲。朝鮮出兵の際、長宗我部元親に従って出陣し虎退治をしたことで知られる。
感想:もっと迷うかと思ったが、トンネル手前のバス停にあり、すぐに分かった。それよりも高知自動車道が中土佐まで延びていたために情報の無いカーナビが混乱してしまい遠回りしてしまった。・・・。

(墓と碑。山林にあったが、1985年に子孫の方々が現在地に移転した)


14.佐竹義秀夫妻の五輪塔・・・高知県高岡郡中土佐町上ノ加江。禅源寺跡の入り口の山腹に建っている。義秀は上ノ加江城主で元親に仕え伊予攻めで戦死している。
感想:探し回ったが場所がまったく分からなかったため、ご高齢の女性に尋ねたところ「佐竹様のお墓ならあそこだよ。年に1~2回は祭りをされているみたいだね」と言われ、その通りに行ってみると見つかった。やはりこういう時は戦前生まれの方に聞くのが一番だ。

(五輪塔。右が義秀で左が妻のもの。手入れが行き届いているのが分かる。土佐佐竹一族の方が大切に守られているのだろう)

(五輪塔の横に建つ初代義秀公四百年忌記念碑)




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2012年四国史跡巡り(2日目その3:瓜生野城)

 ツアーから離脱した自分たちは町内の奥に向かう。途中、香川県民のうどん作りを支える早明浦ダム(いや、まあそれだけのためにある訳じゃないんだけど)を通り過ぎて更に奥へ。

11.本山氏足軽橋・・・高知県長岡郡本山町。汗見川にかつて架かっていたらしい。
感想:説明が無いので何なのか良く分からなかった。瓜生野に逃げた頃だろうか?

(かなり朽ちている看板)

(汗見川。この下の岩場に橋が架かっていたのだろうか)

12.瓜生野城・・・高知県長岡郡本山町瓜生野。長宗我部元親によって本山城からの撤退を余儀なくされた本山親茂は北側の瓜生野に拠点を移動させる。しかし瓜生野も攻撃され抗しきれないと悟った親茂は1569年頃に元親に降伏した。
感想:民家もないような道を走っていると、やがて瓜生野の集落に出る。この雰囲気だと元親が積極的に攻めたとは思えない。孤立無援となった親茂が抵抗は無意味だと思い降伏しただけなのだろう。

(瓜生野城跡。城と言うより砦という規模で、とてもここが本城だったとは思えない。まだはっきりしていないことも多いため、伝・瓜生野城跡と言った方が正しい)

(伝・瓜生野城跡にある祠)

13.願開船・・・高知県長岡郡本山町助藤。ここで疫病が流行した時、住人の志和九郎左衛門が出雲の方向に向かって大国主命に祈り続けたところ、病の流行が止まった。感謝した九郎左衛門は小さな船を吉野川に流すと、船は出雲大社近くの稲佐の浜に流れ着く。現在もその船は出雲大社の宝物殿に保存されている。
感想:宝物殿に行ったことがあるのだが気がつかなかった・・・。

(出雲大社 土佐分祠)

 これにて本日の史跡巡りはお終い。高知市内に戻って今日もみんなとお酒を飲んだ。まあ高知だし。高知だから・・・。

本日の感想:なかなか本山町をじっくり廻る機会がないので、とても有意義なツアーだった。
 飲み会の最後はウーロン茶にしたにも関わらず翌日がきつかった。お酒を飲むと熟睡出来ず飲まない時より疲れが取れないらしいからね。

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2012年四国史跡巡り(2日目その2:本山土居跡・帰全山)

9.本山土居跡・・・高知県長岡郡本山町本山。長宗我部元親の時代には本山采女が住んでいた。その後、山内氏の時代になると家老の山内刑部が入り、その後、野中氏・山内氏・孕石氏が居住した。1718年から参勤交代の宿泊所となったが、明治維新で建物は取り壊されている。
感想:ここは本山氏が使っていた土居とは別物らしい。長宗我部時代のものと一緒かどうかも不明。

(本山土居跡の標柱。この石が遺構なのかどうかは不明)

(本山土居跡全景)

 この後は本山町プラチナセンターでお食事。本山町内で採れたお米を始めとする地元の食材が入った豪華なお弁当だった。

(出されたお弁当。もちろんイタドリの天ぷらも入っていた)

 昼食を済ますと近くの「大原富枝文学館」に行く。本山町出身の有名な小説家らしい。「婉という女」という野中兼山の娘を描いた小説は映画化されている。

(大原富枝文学館)

 文学館を見終わるとさくら市でお買い物。高知の方々はこういうお店に寄ると両手一杯に買い物をするらしいが、そんなに買ってたっけ? 記憶にない。俺は柚アイスをゆっくりと食べて時間をつぶしていた。そして次の目的地に移動。

10.帰全山公園・・・高知県長岡郡本山町本山。江戸時代初期に活躍した山内家の家老・野中兼山の母を葬った山。現在は公園として整備されキャンプ場もある。
感想:兼山は治水や新田開発などで活躍したがのちに失脚した、ってことくらいしか知らない。評価の分かれる人物らしいが・・・。

(兼山を祀る兼山廟)

(兼山の像。兼山廟の鳥居の右に建つ)

(公園の横を流れる吉野川)

(兼山の母・秋田夫人の墓)

 ここでツアーは終了。バスで高知県立歴史民俗資料館に戻る・・・はずだったのか、地元の方にお願いして町内の史跡を案内してもらうことになった。地元の方々に混じってツアーの人達を見送ると史跡巡りを続ける。




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