徳王神社(徳川家康の弓稽古の場)

住所:愛知県岡崎市西中町2丁目1番地

 建保年間(1213~1218年)に本間重光の家臣・伴隼人が当地に住み北野天神の祠官となる。隼人の子孫・孫太郎が徳川家康に弓を献上した縁で、家康が弓の稽古で何度か訪れている。
 江戸時代後期に金比羅社が建てられたが、1945年の岡崎市の空襲で全焼してしまう。1966年に同じく空襲で全焼した隣町の両町にあった徳王神社を合祀し再建された。

(金比羅社の鳥居。大国主命・猿田彦神・崇徳天皇を祀っている)

(徳王神社(徳王稲荷社)の鳥居。もとは岡崎市稲熊町にあったが、明治の初めに岡崎市両町に移された)

(両神社の拝殿?)

(両神社の本殿?)

感想:ここは藤が有名らしいです。


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光善寺(鳥居元忠の墓)

住所:愛知県岡崎市魚町1丁目15

 浄土宗西山深草派。本尊は阿弥陀如来。1560年に松平親乗の母・久姫が創建した。初代・二代の住職は徳川家の重臣・鳥居氏出身と伝わっている。

(入り口)

(本堂)

(お寺の方のお話だと二つの五輪塔のどちらかが鳥居元忠の墓らしいが、詳しいことは分からず)

感想:この辺りは一方通行が多いので車で行くときは注意が必要です。


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三河百々城

住所:愛知県岡崎市百々町

 徳川家の家臣・青山氏の居城。青山氏は家康・秀忠に仕え関東総奉行として活躍した忠成が良く知られている。東京の青山の地名は忠成の屋敷跡と伝わる。
 現在は子孫の丹波篠山藩主・青山忠高が明和7年(1770年)に建てた碑が建つのみである。

(城趾碑)

(城趾碑その2。逆光で見づらいが亀の上に乗っている)

(碑の裏にある墓。詳しいことは不明)

(北側から見た全景)

感想:碑に行くには個人宅を通るため断ってから入りましょう。
 忠成(忠成の父・忠門?)の弟が百々町に残り清水姓を名乗ったため、この周辺には清水姓が多いそうです。


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