2012年遠江お墓巡り(その2:大須賀康高・本多康重・小笠原義頼の墓)

2.撰要寺・・・掛川市山崎1305。浄土宗。1581年、横須賀城主・大須賀康高が創建。大須賀家や、その後に横須賀城主となった本多家歴代の墓がある。
感想:本多家歴代の墓は圧巻。一見の価値有り。

(山門。横須賀城の不開門を移築したもの)

(山門についている本多家の家紋『丸に立葵』)

(本堂)

(大須賀康高・忠政の墓。康高は徳川家康の重臣で高天神城攻めや長久手の戦いで活躍している。忠政は榊原康政の長男で大須賀家の養子となり跡を継いだ)

(小笠原氏信・茂次兄弟の墓。氏信は徳川家康の家臣で長久手の戦いで戦死した。茂次は氏信の弟だが詳細は不明)

(小笠原清広・義頼兄弟の墓。徳川家と武田家の間で揺れた高天神城主・小笠原長忠の叔父にあたる。義頼は上記に載せた氏信・茂次兄弟の父)

(横須賀城主・本多家歴代の墓。城主となった本多利長が前任地の岡崎より運んだもの)

(本多康重の墓。本多家は徳川家譜代の家臣で、康重も姉川の戦いや長久手の戦いで奮戦している)

(康重の長男・本多康紀の墓(中央のもの)。大坂の陣で活躍する)

(康紀の長男・本多忠利の墓)

(本多康重・康紀・忠利三代の墓)

(本多重章・龍安の墓。本多康重の一族で本多家歴代の墓に並んで建っている)

 じっくりとお墓参りをした後、レストラン『さわやか』で食事をする。何度もしつこいけど、静岡県といえばさわやかだよ。名前と裏腹にメニューはヘビーだけどね。

(さわやか)

(ハンバーグとメンチカツ。メンチカツが野菜多めでさわやかだった)

 食事を済まし、少し休憩すると次の目的地に向かう。




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2012年遠江お墓巡り(その1:井上正就の墓)

 2012年2月25日、さのすけさんと一緒に静岡県のお墓巡りに行って来た。今回も『静岡戦国武将巡り』を参考にして回った。この本があると静岡の史跡巡りの幅が広がって良い・・・。
 8時に集合して静岡県に向かう。

1.本源寺・・・掛川市西大渕5431。日蓮宗。遠江横須賀城主・井上正就の菩提を弔うため、息子・正利が1628年に建立。大久保氏の菩提寺・長福寺(愛知県岡崎市)に隠居していた日賢が、大久保彦左衛門の口添えで本源寺の住職となる。1662年頃に現在地に移転された。
感想:大須賀町(現・掛川市)の建てた説明版に「観光の寺ではありません。手を合わせてお参りしましょう」と書いてあった。当然のことだが、節度を守って参拝しましょうってことなんでしょう。

(山門。横須賀城の搦手門を移築したと伝わる)

(山門の横に建つ井上氏の墓塔。井上氏歴代城主の供養塔?)

(境内に立つ稲荷神社。後醍醐天皇の孫(護良親王の次男)を葬った場所といわれる)

(本堂)

(江戸幕府初期の老中・井上正就の墓。豊島信満が、正就の息子と大坂町奉行・島田直時の娘との縁組を仲介したが、春日局が出羽山形城主・鳥居忠政の娘と縁組をするように命じたため破談してしまう。面目が丸つぶれとなった信満は、江戸城西の丸で正就を斬りつけ殺害している)

(井上正就の墓その2)




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萬祥山大岳院(里見忠義の墓)

●萬祥山大岳院
住所:鳥取県倉吉市東町422

 前身は中村一氏の駿府城主時代に駿河にあった弟・中村一栄の菩提寺・慶久寺である。関ヶ原の戦い後に駿河から伯耆に中村一栄が移封された際に、慶久寺も伯耆八橋に移された。一栄が亡くなると法名・萬祥寺殿大岳院周磧代居士から「大岳院」と名付けられ現在地に移される。
 有名な南総里見八犬伝のモデルと言われている里見忠義と殉死した8人の家臣の墓や、119代光格天皇生母の墓がある。

(山門)

(駒姫八幡大菩薩)

(本堂)

(119代光格天皇生母・お林の方墓所)

(里見忠義と殉死した8人の家臣の墓)

(犬の像。8体があり、すべてが里見家墓所に向いている)

感想:倉吉市の旧市街地にあるため、道が狭い上に一方通行が多く車だと大変でした。駐車場はあるが、近くには打吹城もあるのでそちらに駐めてから行くのがいいと思います。
 歴史についての詳しいことは『山陰の戦国史跡を歩く 鳥取編』を参考にしてください。