2012年静岡市お墓巡り(その5:朝比奈泰勝・岡部元信・孕石元泰の墓)

7.大正寺・・・駿河区大谷3660-1。曹洞宗。
感想:この時は食後で眠かったことしか記憶にない・・・。

(本堂)

(今川氏真の家臣・朝比奈泰勝の墓。大坂の陣絵巻に載せている朝比奈泰倫と同一人物と思われる。墓は共同墓地の中腹に建っている)


8.本覚寺・・・駿河区池田1379。日蓮宗。日位が1308年に開基した。徳川幕府からの保護を受け隆盛を誇った。第五十五代総理・石橋湛山が青年時代にここで過ごしている。
感想:孕石氏は別の場所に墓があったらしいのだが・・・。まあいいや。

(山門)

(参道)

(鐘楼)

(本堂と日蓮の像)

(岡部元信・孕石元泰・孕石元成の合碑墓。元信は桶狭間の戦いの際に今川義元の首を持って帰ったことで知られる。元泰は今川家の家臣で徳川家康の幼少期に罵ったため、高天神城で捕らえられた際に切腹させられた。その子・元成は山内一豊に仕えている)




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2012年静岡市お墓巡り(その4:徳川信康の供養塔・榊原清政の墓)

5.江浄寺・・・清水区江尻東3-6-6。浄土宗。徳川信康に仕えていた榊原清政が久能城主に任ぜられた際、信康の遺髪を当寺に葬っている。参勤交代でここを通り過ぎる大名は当寺に参詣するのが通例となっていた。
感想:位牌を見せていただきました。

(岡崎三郎信康候御宝塔)

(恋塚。肥前平戸藩主・松浦隆信の弟・松浦成清は、肥前大村藩主の娘・春姫(真珠姫)と婚約していた。しかし江戸から国元に帰る隆信が春姫を側室にしようとしていることを知った成清は無断で後を追う。隆信に追いついたものの成清は勝手に江戸から出た罪で、1624年5月に江浄寺で自害させられた。墓は縁結びの恋塚とされていたが所在が不明になってしまったため、2005年に恋塚が再建されている)

(本堂。葵の御紋が入っていた)


6.宝台院別院(旧・照久寺)・・・駿河区安居291。浄土宗。榊原康政の兄で久能城主だった清政の墓がある。
感想:駐車場はあるが久能山の近くを通るため交通量が多く苦労した。

(庭園。タイトルは『光と風と海』)

(本堂。後ろに見えるのが久能山)

(榊原氏墓群。榊原家は代々久能山の警護を務めた)

(榊原清政の供養塔。清政は信康が亡くなった後、職を辞して蟄居し弟のもとに身を寄せている)

(別の寺から移転された榊原清政の墓)

(清政の次男・照久の墓。遺言により久能山の方向を向いている)

(戊辰戦争戦没者の墓)




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2012年静岡市お墓巡り(その3:穴山梅雪の墓・さった峠)

3.霊泉寺・・・清水区興津井上町234-1。臨済宗妙心寺派。駿河江尻城主・穴山梅雪が自らの墓所のために創建した。
感想:寺まで車で行ったら駐車場が無くて困った・・・。下にある清水公園墓地の駐車場に駐めて歩いて行くのが安全です。

(山門跡?)

(六角堂)

(穴山梅雪の墓)

4.薩埵峠・・・静岡市清水区。1568年に武田信玄と今川氏真の戦いが行なわれたことで知られる。江戸時代は東海道の難所として有名だった。
感想:ここから見る景色は素晴らしい。寄り道して良かった。

(山之神遺跡の碑。ネットで検索したら『鞍佐里神社』の旧社地を伝える碑らしい)

(遠くに富士山が見える)

(左奥が富士山。右が駿河湾。そして左の手前が東海道本線・東名高速・国道一号線)




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