週刊戦国武将データファイル

 ディアゴスティーニから発売されている「週刊戦国武将データファイル」の81号・87号・90号・93号・98号・100号・101号・102号・103号・104号・105号・107号・109号に私の提供した写真が使われています。
 お時間がありましたらご覧ください(目次にしか私の名前がないので、どの写真が分からないですが・・・)。
 有料で史跡写真の提供を行なっておりますので、ブログ・サイトに掲載してある写真で必要なものがございましたら、メールフォームからご連絡下さい。

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2012年静岡市お墓巡り(その7:旭姫・西郷局の墓)

11.瑞龍寺・・・葵区井宮町48。曹洞宗。1560年の開基。1590年、徳川家康の正室で豊臣秀吉の異父妹・旭姫が没すると家康は当寺に墓を建て、寺名も法名を取って瑞龍寺と改めている。
 家康が駿府にいた時、住職を招いて曹洞宗の教えを聞いたといわれている。
感想:『あさひひめ』が言いづらく、ずっと『あさひしめ』と言っていた。山陰の訛りのせいか?

(山門)

(本堂)

(旭姫の墓。正確には徳川家康が建てた供養塔)


12.宝台院・・・葵区常磐町2ー13ー2。浄土宗。1507年の創建で最初は『龍泉寺』と命名されていた。1589年に徳川秀忠の生母・西郷局が葬られ、1628年に秀忠は大伽藍を建て大法要を営んだ際に戒名が改められたため、それに合わせて寺名も宝台院となる。しかしその時の大伽藍も1940年の静岡大火災、1945年の静岡空襲で灰燼に帰してしまう。

(おそらく本堂)

(西郷局の墓)

(古田織部が製作して駿府城に奉納したキリシタン灯籠)

(徳川慶喜公謹慎之地。慶喜が1868~1869年の2年の間、境内で謹慎していた)

 これにて終了。心配していた岡崎インター近くの渋滞も無くスムーズに自宅に帰れた。
本日の感想:日帰り限界範囲の静岡市。早く出たおかげで、ほとんど予定通りに行けて良かった。静岡県のお墓巡りにはまた近いうちに行こう。




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2012年静岡市お墓巡り(その6:寿桂尼・源応尼・市姫・お久の方の墓)

9.龍雲寺・・・葵区沓谷3-10-1。曹洞宗。今川氏親の妻・寿桂尼の菩提寺。本堂の裏手には静岡市指定史跡の寿桂尼の墓があるが、後北条氏に仕えていた本間家の墓ともいわれている。
感想:ということで寿桂尼の墓については真偽の程は不明。

(本堂)

(伝・寿桂尼の墓)


10.華陽院・・・葵区鷹匠2ー24ー18。浄土宗。知源寺という名だったが、1609年に徳川家康が祖母・源応尼の五十回忌の際に源応尼の法名である華陽院に改めた。参勤交代でここを通り過ぎる大名は当寺に参詣するのが通例となっている。
感想:静岡駅の裏。交通量が多く一方通行もあって車で行くには大変だった。駐車場はあるので、そこは問題ないのだが。

(本堂・・・だと思う。近代的)

(源応尼の墓。家康が今川家の人質時代に世話役を任されていた。当寺の隣に源応尼の寓居があったという)

(家康の五女・市姫の墓)

(家康の側室・お久の方の墓)




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