2011年冬出雲史跡巡り(冬の宍道湖の夕日)

 2011年12月31日(土)、昨日まで香川県の史跡巡りをしていたので疲れていたけど、松江市まで出かけて宍道湖の夕陽を見に行った。山陰に戻ると見たくなるんだよね。今回は冬にしては珍しく晴れていた。


 冬の宍道湖を満喫すると家に戻って父親の台湾土産の酒を飲んだ。

(二日酔いしない爽やかさが特徴らしい。確かにあまり味も臭いもしない癖のない酒で翌日に残るようなことがなかった。説明文が口語体と文語体が混じっていた上に旧字体も使われており、なかなかユニークだった)

 その後、就寝。明日からは家から出ない。出かけるのは好きだが、人が多いところは嫌いじゃ。

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感応寺(中村一忠の墓)

住所:鳥取県米子市祇園町1-89
 日蓮宗。日本法華三感応寺の一つ。1600年に中村一忠が駿河から移された際、一緒に菩提寺として移された。1609年に一忠が亡くなると当寺に葬られている。
 1863年の火災で建物の大半を失い、現存する建物は僅かに山門が残るのみである。

(山門)

(妙見堂)

(本堂)

(中村一忠と殉職した二人の墓(供養塔?)。ここには御影堂が建ち一忠と殉職した二人の木像が安置されていたが、御影堂の傷みが激しく代わりに墓が建てられた。木像は本堂に安置されている)

(感応寺から米子城を望む)




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豊橋・豊川史跡巡り(後半:牧野城・豊川稲荷・今川義元の胴塚・大恩寺)

6.牧野城・・・豊川市牧野町大藪。応永年間に讃岐の田口伝左衛門が三河国牧野の地頭に任ぜられたため築城。その後、田口氏は牧野に改姓。戦国時代には現在の豊川市・豊橋市で勢力をもっていた。1505年、牧野古白が吉田城を築くと廃城になったと思われる。
感想:ビニールハウスの中にぽつんとある。

(土塁)

(土塁の上に建つ城址碑)


7.豊川稲荷・・・豊川市豊川町1。1441年、東海義易が妙厳寺を開基。その際に鎮守として豊川陀枳尼真天(豊川稲荷)を祀った。
感想:ということで妙厳寺がメインで豊川稲荷はサブです。

(総門)

(山門。1536年に今川義元が寄進)

(本堂。東海義易・今川義元などの位牌が祀られている)

(豊川稲荷の鳥居と妙厳寺の本堂。現代人の自分が見ると違和感があるが、神仏習合の時代だった当時はこういう光景が普通だったのだろう)

(豊川稲荷大本殿。「大」らしい。確かにでかい)


8.大聖寺・・・豊川市牛久保町岸組66。今川義元・一色時家の墓がある。
感想:山門の先に駐車場があったのだが、狭くて普通車だと入るのに躊躇した。実際は余裕の広さだったんだけど運転は苦手で。

(今川義元の胴塚。家来が首より下を運んで当寺に葬った。三回忌に息子・氏真が墓を現在の形に整備している)

(一色城主・一色刑部少輔時家の墓。当寺を創建している)


9.一色城・・・豊川市牛久保町。1439年、一色時家が築城。大聖寺も当城内に創建されたものだという。
感想:大聖寺に行く途中に偶然見つけたので寄ってみた。大聖寺からは歩いていける。

(土塁の一部。ネットで検索したところ、遺構なのかはっきりしておらず伝・土塁らしい)


10.長谷寺・・・豊川市牛久保町八幡口97。勘助は当地で過ごしていたことがあり、長谷寺の念宗和尚と特に親しかった。和尚は勘助が川中島の合戦で戦死したことを知ると遺髪を納めた五輪塔を建立している。
感想:本堂前の駐車場が狭い・・・と思ったら駐車場は別の場所にあった。すいませんでした。

(山本勘助の墓)


11.牧野成定公廟・・・豊川市千歳通4丁目。成定は徳川家康に仕え吉田城攻めなどに尽力したが、1566年に病死し光輝院に葬られた。現在は廟は玄孫が建てたもの。
感想:一色城と同じく移動中に偶然見つけたので寄ってみた。

(廟)


12.大恩寺・・・豊川市御津町広石御津山5番地。松平親忠が現在地に移転。松平広忠が伽藍を修理し名を浄光院から大恩寺に改めている。

(山門)

(本堂)

(松平清康夫妻・松平広忠・亀姫の墓。お寺の方に聞いたが、どのお墓が誰のかは分からないとのこと)


 ここで陽が落ちてきたため、史跡巡りは終了。うちに戻った。
本日の感想:今回は全部俺の選んだところだったにも関わらず同行して下さったさのすけさん、ありがとうございました!

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