2011年冬出雲史跡巡り(冬の宍道湖の夕日)

 2011年12月31日(土)、昨日まで香川県の史跡巡りをしていたので疲れていたけど、松江市まで出かけて宍道湖の夕陽を見に行った。山陰に戻ると見たくなるんだよね。今回は冬にしては珍しく晴れていた。


 冬の宍道湖を満喫すると家に戻って父親の台湾土産の酒を飲んだ。

(二日酔いしない爽やかさが特徴らしい。確かにあまり味も臭いもしない癖のない酒で翌日に残るようなことがなかった。説明文が口語体と文語体が混じっていた上に旧字体も使われており、なかなかユニークだった)

 その後、就寝。明日からは家から出ない。出かけるのは好きだが、人が多いところは嫌いじゃ。

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2011年冬香川県史跡巡り(1日目その3:石田城・国弘城・植田城)

7.讃岐石田城・・・さぬき市寒川町石田東甲761。築城年代は不明。長宗我部元親の侵攻時には安富元綱(細川則弘とも)が城主だったが落とされている。現在は本丸跡が光明寺になっている。
感想:寺の周りには土塁や堀らしきものがあった。

(光明寺本堂)

8.国弘城・・・さぬき市寒川町石田1928。応永年間(1394~1428年)に細川助弘が築城。末裔の国弘は織田信長・豊臣秀吉に仕えたという。1616年2月、真田幸村がここに逃れ細川氏に2年ほど世話になっている。幸村の息子・之親の娘は、国弘の孫を婿として迎え、孫は真田姓を名乗るようになったと伝わっている。遺構はない。
感想:ここは場所が分からずとにかく探し回った。近所の方に一緒に探してもらい、やっと見つかったよ・・・。お名前を聞くのを忘れましたが、本当にありがとうございました!
 細川氏は途中から国弘姓を名乗ったようだが、いつ頃からなのか不明。

(城址碑1。真田六紋会という団体が建てたらしい)

(城址碑2。後ろに墓らしきものが見える)

(真田氏が建てた神社だったと思う。城と関係があると近所の方が説明されていたのは覚えている。国弘城の南にある)


9.植田城(戸田城)・・・高松市東植田町本村。築城年代は不明。植田氏の居城だったが、長宗我部元親に攻められ落城した。その後、戸波親武が城主となったが、四国征伐後に退去したため廃城となる。空堀・郭などの遺構が残っている。
感想:四国征伐の際に元親がこの城に讃岐方面軍を引きつけて殲滅しようとしたが、黒田如水に作戦を見抜かれたことで知られている。
 場所は分かりづらいが、近くの城集会所を目指して行くと良い。

(本丸跡)

(堀切)

(堀跡)

(植田氏を祀る神社)


 お腹が空いたのでここで休憩。昼食はもちろん讃岐うどん。

(行ったのは四国村にある『うどんのわら家』)

(ぶっかけうどん)

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2011年冬香川県史跡巡り(1日目その2:六車宗旦の墓・釈王寺・雨滝城)

4.六車宗旦の墓・・・東かがわ市川東。宗旦は東讃を治めていた安富氏の重臣。長宗我部元親が讃岐に侵攻すると主君・安富盛定は小豆島に逃亡するが、宗旦は居城・雨滝城に残る。しかし抗しきれず降伏。そのまま在城を許されるが、秀吉の四国征伐で下野した。
感想:事前に準備をしている時に「お墓の場所、見たことがあるなあ」と思っていたら、梶原景辰の墓の横じゃないか・・・。よく調べていなかったために同じ場所に二度も行くことになってしまった。

(宗旦の墓。左にちらっと写っているのが景辰の墓)


5.釈王寺・・・東かがわ市大谷329-2。真言宗。さぬき三十三観音霊場第五番。長宗我部元親が東讃に侵攻する直前、当寺の住職が元親の西讃での悪行を伝え東讃の諸将に降伏を勧めている。
(仁王門)

(本堂)


6.雨滝城・・・さぬき市大川町富田中。長禄年間(1457年~1460年)に安富氏が築城。以来120年の間、安富氏の居城であったが、1572年に安富盛定が虎丸城に移ると重臣・六車宗旦が入っている。四国征伐後に廃城になったと思われる。
感想:城内に車で入ったが、入り口を通りすぎてしまい諦めた。道が狭くてUターン出来るような状況じゃなかったし・・・。

(雨滝城遠景)

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