清涼寺(豊臣秀頼の首塚・渡辺糺の墓)

住所:京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46

 京都・嵯峨の清凉寺といえば、釈迦堂の名で広く親しまれてるとともに、浄土宗の元祖法然上人が、24歳の時に人々を救う仏教を求めて、同寺の釈尊像の前に7日間おこもりした由緒ある寺院。
 仁王門から入った広い境内には、本堂はじめ、阿弥陀堂、一切経蔵、薬師寺、宝物館、弁天堂、狂言堂、聖徳太子殿、法然上人求道青年像、鐘楼、豊臣秀頼公首塚、多宝塔など多くの堂塔が建ちならんでいる。
(清涼寺のホームページより引用)

(多宝塔)

(本堂)

(豊臣秀頼の首塚)

渡辺糺ら渡辺一族の墓)

コラム:渡辺一族のお墓は昔は案内板などがあったそうですが、今は訪れる方が激減したため撤去したとお寺の方が言われてました。
 豊臣秀頼の首塚ですが1980年に大阪城の三の丸から出土した秀頼の首を1983年に納めたもので、首に介錯の跡があったそうです。1998年までは5月8日に豊臣秀頼公忌があったそうですが、最近は行なっていないそうです。


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妙心寺(寿聖院・玉鳳院)

住所:京都市右京区花園妙心寺町1

 京都市右京区花園にある臨済宗妙心寺派の大本山。山号は正法山。延元二年開創。開基は花園天皇。開山は関山慧玄。花園天皇の離宮萩原殿を寺としたもの。足利義満は祈願所としたが、大内義弘の乱に関連あるとして竜雲寺と改称して一時廃絶。七世宗舜が復興したが応仁の乱で焼失、九世宗深が再興。堂舎二十数棟、竜泉院・霊雲院・東海院・聖沢院・退蔵院・桂春院など四八院をもつ。大灯国師墨蹟などを所蔵。

(妙心寺三門)

(石田三成一族の菩提所・寿聖院)

(斉藤内蔵介夫妻墓所・智勝院)

(織田信長・信忠親子、武田信玄・勝頼親子などの墓所・玉鳳院)

コラム:ほとんどが非公開で中に入れないため、門ばかりの写真になってしまいました。


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大和高取城

住所:奈良県高市郡高取町高取

 南北朝時代に大和の有力豪族・越智氏が築城。その頃の高取城は越智氏の支城としての扱いだったが、戦国時代に大和を筒井氏が治めると本格的な城として整備された。その後、本多氏が城主として入るが断絶したため、植村氏が入り明治維新を向かえる。
 明治時代に惜しくも建物は壊されるが、石垣は現在も残り史跡として整備されている。

(城趾碑と石垣)

(駐車場から本丸へ続く道)

(櫓跡)

(虎口)

(大手門跡)

(高取城から山々を望む)

コラム:城趾中は石垣だらけ。どこ回っても石垣で途中から写真を写すのをやめました。石垣好きにはたまらない場所だと思います。
 本丸付近まで車で行けます(ただし車が4~5台しか置けず途中の道は狭いです)。行って損はないです。


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