三河逆心-桶狭間以前の10年間-

 2011年10月29日(日)、安城市歴史博物館で開催されたシンポジウム「三河逆心-桶狭間以前の10年間-」に行って来た。
 マニアックなテーマだから参加者が少ないかと思ったら結構な入りだった。

 五人のパネリストがそれぞれのテーマに沿って話を進められた。

1.本多隆成氏(静岡大学名誉教授)「今川氏の三河支配と松平氏」・・・「定本 徳川家康」の著者。
 「三河物語では松平氏は今川氏に忍従を強いられたみたいに言われていますが、そんなことはなかったですよ」ということしか覚えていない。

2.村岡幹生氏(中京大学教授)「西三河北部の領主の動向」・・・シンポジウムの司会進行も兼ねられていた。
 三河一向一揆の際、三河上野城主・酒井忠尚がなぜ一向一揆側として戦い敗北後に駿河に逃れていたのかずっと疑問に思っていた。村岡氏の話によると忠尚は今川氏支配下の西三河では松平氏の家臣でありながら、家康と同等の立場だったらしい。だから家康の独立後に素直に従うのを良しとしなかったのだろう。

3.山田邦明氏(愛知大学教授)「東三河・奥三河の領主と動向」・・・複雑すぎて興味の持てない東三河がテーマなので一番聞きたかった内容だった。
 分かりやすい説明だったので東三河音痴の私でも理解できた。東三河は明確な支配者がおらず、戸田・菅沼・奥平・牧野などが自分たちの領地を自由に支配していたのだが、そこに今川義元が支配者面して来たもんだから、今回の主題の通り逆心を抱き実行に移したらしい。
 一番面白かったのが、最後の質問の時間。
質問者「どうして東三河の武将たちは反乱をしたんですか」
山田氏「ムカついたからでしょうね」
 分かりやすい・・・。ムカついた理由としては、義元が東三河まで出陣して陣中に挨拶に来いというなら良かったのだが、義元自身は駿府にいて戦は家臣任せな上に、遠い駿府まで祗候させていたかららしい。しかも義元に協力した武将も望みが叶えられず、東三河のどの武将にとってもメリットは何もなかったそうだ。
 そりゃ逆心を抱くわ。

4.小林輝久彦氏(戦国史研究会会員)「『吉良殿逆心』の背景について」・・・持ち時間が一番少なかったせいか早口での説明だったため、まったく分からなかった。あれだけ早口だと大変だっただろうな・・・。お疲れ様でした。

5.高木傭太郎氏(愛知東邦大学講師)「水野信元と水野一族の動向について」・・・水野信元と水野十郎左衛門が同一人物かどうかが話の主眼だった。高木氏の結論としては同一人物とのこと。
 こんな感じで4時間近くに渡るシンポジウムは終わった。さすがに疲れた・・・。でも、来年もやってほしいな。次は松平清康辺りがテーマだろうか。
 その後、シンポジウムに誘って下さったRYOさんと一緒に飲みに行った。知り合って8年くらい経つのだが飲みに行くのは初めて。今回のシンポジウムや二人が好きな細川政元について話した。

 RYOさん、一日ありがとうございました! 今度は約束通り、東京に行きましょう。

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