岡崎市・豊田市プチ史跡巡り(鴛鴨城・松平広忠公廟所・甲山寺)

 2011年8月27日(土)、用事があったので岡崎市に行った。その前にちょろっと史跡巡りを。

・渡刈駅跡・・・豊田市渡刈町。1929年に開通した旧名鉄挙母線(大樹寺~三河豊田)の渡刈駅跡(開通当時は名鉄が運営していた訳ではないため名称は違う)。
 戦後は岡崎市からトヨタ自動車に通う社員などに利用されたが、モータリゼーションや名鉄・国鉄の事情により1973年に廃線となった。
 現在は鉄道跡が遊歩道となっている。
感想:前回、この辺りを史跡巡りした時の下調べで知って気になり行ってみた。トヨタ社員が利用していた路線がトヨタも含めた自動車会社のために起きたモータリゼーションのせいで廃線になるとは皮肉なものだな…。
 現在、この周辺は民家が少ないが、鉄道が存続していたらそれなりに発展したのだろうか。

(渡刈駅跡休憩所)

(線路跡に整備された遊歩道。この先の矢作川を越えたところに細川駅があった。名前の通り、細川氏発祥の地が近くにある)

 史跡と廃線跡って共通点があるよね、ってことで来てみた。ここからが史跡巡り。

1.鴛鴨城・・・豊田市鴛鴨町矢迫。鴛鴨松平家は松平家の分家。四代・忠久が西尾城の酒井家の付家老となったため廃城となった。現在は小高い丘に碑があるのみで当時を偲ばせるものはほとんどない。
感想:迷うかと思ったが、田園地帯の中にぽつんとあるためすぐに分かった。

(全景)

(碑)


2.松応寺・・・岡崎市松本町42。松平広忠が密葬された場所に、息子・竹千代(徳川家康)が小松を植えた。その後、桶狭間の戦いで独立した家康は、松が願い通り育ち、また独立できたことを喜び松応寺と名付けた。広忠が使用した床几などがある。
感想:小さな商店街の奥にある。車で商店街を通り抜けることができるので、境内に駐車可。

(寺の前にある商店街)

(梵鐘。戦時中、文化的な価値が高いとして供出を免れ、岡崎市の空襲の際も戦火に包まれたが破砕しなかった)

(本堂)

(松平広忠公廟所)


3.甲山寺・・・岡崎市六供町甲越17。松平清康が岡崎城の鬼門にあたる当地に安城市にあった薬師堂を移したのが始まり。松平広忠が当寺で祈願したところ、家康を授かった。それを契機に広忠は松平家の祈願所と定め護摩堂を建立している。
 家康は当寺の僧を従軍させ戦勝を祈らせたという。
感想:隣に岡崎市民会館があるので分かりやすい。出入りがしずらいが境内に車で入ることができる。地元の方が「今、甲山(かぶとやま)にいる」と携帯で話していたので、市民には甲山という地名で知られているんだろう。

(秋葉堂。安城から薬師堂と共に移された。当時は市民会館の駐車場にあったが1879年に移転された)

(護摩堂)

(甲山寺の北に建つ八幡宮。家康が岡崎城の鬼門除けの守護神を祀るために建てた。現在は菅原道真・徳川家康などが祀られている)


 史跡巡りはこれにて終了。昼からは人と会って用事を済ませた。

本日の感想:さすがに岡崎市は廻るところが無くなって来たな・・・。

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岡崎市・豊田市史跡巡り2011(その4:妙源寺、鳥居・大久保一族発祥地)

11.妙源寺・・・岡崎市大和町沓市場65。1258年に安藤信平が創建し明眼寺と名付けた。三河一向一揆の際、家康に味方した功で「源」の姓を賜り、妙源寺と改名。徳川家家臣の墓が多数ある。
感想:来たのは四度目・・・かな?

(柳堂。親鸞がここで説法をしたと伝わっている)

(安藤直次の墓。すっかりもじゃもじゃになってしまった…)

(2006年当時の安藤直次の墓。このままだと10年後には墓全体がもじゃもじゃになってしまうんじゃないだろうか・・・)

(本多忠勝の父・忠高の墓)

(長坂血槍九郎の墓。平岩親吉の墓の向かいにある)

(高木清秀の墓)


12.鳥居氏一族の発祥地・・・岡崎市渡町字東浦。徳川家譜代の家臣・鳥居一族の発祥地。伏見城で討ち死にした鳥居元忠が有名である。
(鳥居氏の居城・渡城跡の碑)

(鳥居氏発祥地の碑)


13.大久保一族の発祥地・・・岡崎市上和田町南屋敷。徳川家譜代の家臣・大久保一族の屋敷があったといわれている。大久保忠教(彦左衛門)もここで生まれた。
感想:一般宅の庭にあると思っていたが、一般宅ではなく上和田町公民館だった。どちらにしても駐車場がないので、近隣に駐めて歩いて行くしかない。

(大久保一族発祥地の碑)

(発祥地近くにある和田城用心濠跡の碑。上和田城は大久保氏の居城)


 まだ時間はあったが暑さで疲れてここで史跡巡りは終了。一旦、家まで戻って電車でSさんと飲みに行った。前半は記憶があるが、後半は記憶がない…。何を話したんだろう。帰り道の記憶はおぼろげにあるのだが。
本日の感想:人を案内すると、写真の撮り直し&一人では行かない史跡も廻れるのでいいね。あと飲み過ぎには注意!

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岡崎市・豊田市史跡巡り2011(その3:大樹寺、井田城、誓願寺)

7.大樹寺・・・岡崎市鴨田町広元5-1。1475年、松平親忠が建立し菩提寺と定めた。徳川将軍家14代の位牌が納められている。
感想:同行者のSさんの希望で寄った。私は何度も来ているのでSさんだけが本堂に入り、一人で外で待っていた。
 この時に先輩から電話があり「名古屋の姫隊が岡崎城に来ているから寄らないか」と誘われたが、時間がなかったため断った。すいませんでした…。

(多宝塔)

(岩津松平家供養塔。奥は歴代住職の墓)

(松平八代の墓にある清康の墓)

(本堂)

(待っている間に休憩所で食べたかき氷)


8.井田城・・・岡崎市井田町城山。松平氏の分家・酒井氏の居城。徳川四天王の一人・忠次もここで出生したと伝わる。大樹寺と岡崎城を結ぶ要所にある。
感想:高台にあり城趾の雰囲気はある。道が狭く難儀した。

(井田城跡の碑)

(三河武士の魂を神格化した清明白龍大神を祀る神社)


9.誓願寺・・・岡崎市梅園町虎石10-1。大林寺の第四世住職・泰翁は、京都に移り京都誓願寺の住職となる。その際、家康の三河支配正当化のために徳川姓と三河守任官に尽力。家康は三河に戻ってきた泰翁の労をねぎらい当寺を建立し住職とした。
感想:泰翁がいた誓願寺とは渡辺勘兵衛の墓がある誓願寺のことらしい。
(諏訪神社。1523年、岡崎城主・松平信貞が勧請したもの。石灯籠は岡崎市内ではもっとも古い1588年のものといわれている)

(虎石。幼い頃、虎童子と呼ばれた家康が半弓の稽古の際に腰掛けて休んだといわれる。当時は現在の場所より少し東にあったらしい。説明版も何も無くお寺の方に聞いてやっと分かった)

(泰翁の墓)


10.田中吉政の像・・・岡崎市籠田町。籠田公園の前にある。
感想:誓願寺の近くだったので寄ってみた。


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