春の甲府史跡巡りの思い出

 春に甲府の史跡巡りに行った際の思い出です。

・本当は史跡を個々に載せずにレポート形式にしたかった。しかし、その頃は自粛ムードだったため、巡った日にちを載せていると「こんな時に被災地で観光なんて」って非難が来そうで恐かった。そのため、いつ行ったか分からないように今回のような形にした。
 今考えたら、あの自粛で誰が得したんだろう・・・。

・そんな状況だったため、有名な恵林寺にも地元の方以外おらず、お寺の方に結構良くしてもらった。お礼に「滅却心頭」と書いてある手ぬぐいを買った。

・友達に名物だから食べようと言われて「とりもつ」を食べた。蕎麦屋にあるんだな(蕎麦屋だけじゃないんだろうけど)。もつと蕎麦って組み合わせに違和感があったが、食べると意外と合うね(写真に蕎麦が写っていないけど、食べました)。

・渋滞する箇所が多い街だな、って印象が残っている。
躑躅ヶ崎館の前で食べた「信玄アイス」。きな粉がまぶしてあり、黒蜜がかかっている。夏に食べたら疲れが取れそう。味はきな粉とアイスがマッチして美味しかったですよ。

 こんな感じでした。

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武田信玄公墓所

住所:山梨県甲府市岩窪町

 1573年、武田信玄は亡くなる直前に3年間の秘喪を命じた。家督を継いだ勝頼は命を守り、1576年に重臣・土屋昌次の邸内で荼毘に付し恵林寺に埋葬。ここ岩窪の墓所は土屋氏の邸跡で、後世これを魔縁塚と呼んで地元の者は恐れて近づかなかったという。
 しかし1779年、甲府代官・中井清太夫が「法性院機山信玄大居士・天正元年癸四月十二日薨」と刻んである石棺を発掘したため、埋め直して幕府に届け信玄の墓と定めた。この時、武田家旧臣の子孫達が石碑を建てたと伝わっている。

(入り口)

(墓)

コラム:河尻塚がすぐ近くにあります。


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河尻塚(河尻秀隆の首塚)

住所:山梨県甲府市岩窪町268

 織田信長の家臣・河尻秀隆の首塚とも、秀隆の屋敷跡とも伝わっている。1582年3月の甲州征伐で活躍した秀隆は甲斐と信濃の諏訪地方を与えられた。しかし僅か3ヶ月後に本能寺の変で信長が横死すると、武田家の旧臣らが蜂起。秀隆は一揆勢に殺害され逆さまに埋められたことから「さかさ塚」とも呼ばれる。

(河尻塚)

コラム:近くに武田信玄墓所があります。


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