越中井(細川ガラシャ最期の地)

住所:大阪市中央区森ノ宮中央2ー12

 関ヶ原の戦いの際、石田三成は大坂屋敷にいる大名の妻子を人質にしようとした。その時、細川忠興の妻・ガラシャ(玉子)は三成に従わず屋敷に火を放って自害する。越中井はその屋敷の台所にあったものだという。

(越中井)

(細川ガラシャの像)

(高山右近の像)

コラム:像は越中井からすぐ近くの聖マリア大聖堂玉造教会にあったものです。


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春の甲府史跡巡りの思い出

 春に甲府の史跡巡りに行った際の思い出です。

・本当は史跡を個々に載せずにレポート形式にしたかった。しかし、その頃は自粛ムードだったため、巡った日にちを載せていると「こんな時に被災地で観光なんて」って非難が来そうで恐かった。そのため、いつ行ったか分からないように今回のような形にした。
 今考えたら、あの自粛で誰が得したんだろう・・・。

・そんな状況だったため、有名な恵林寺にも地元の方以外おらず、お寺の方に結構良くしてもらった。お礼に「滅却心頭」と書いてある手ぬぐいを買った。

・友達に名物だから食べようと言われて「とりもつ」を食べた。蕎麦屋にあるんだな(蕎麦屋だけじゃないんだろうけど)。もつと蕎麦って組み合わせに違和感があったが、食べると意外と合うね(写真に蕎麦が写っていないけど、食べました)。

・渋滞する箇所が多い街だな、って印象が残っている。
躑躅ヶ崎館の前で食べた「信玄アイス」。きな粉がまぶしてあり、黒蜜がかかっている。夏に食べたら疲れが取れそう。味はきな粉とアイスがマッチして美味しかったですよ。

 こんな感じでした。

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武田信玄公墓所

住所:山梨県甲府市岩窪町

 1573年、武田信玄は亡くなる直前に3年間の秘喪を命じた。家督を継いだ勝頼は命を守り、1576年に重臣・土屋昌次の邸内で荼毘に付し恵林寺に埋葬。ここ岩窪の墓所は土屋氏の邸跡で、後世これを魔縁塚と呼んで地元の者は恐れて近づかなかったという。
 しかし1779年、甲府代官・中井清太夫が「法性院機山信玄大居士・天正元年癸四月十二日薨」と刻んである石棺を発掘したため、埋め直して幕府に届け信玄の墓と定めた。この時、武田家旧臣の子孫達が石碑を建てたと伝わっている。

(入り口)

(墓)

コラム:河尻塚がすぐ近くにあります。


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