滋賀県南部史跡巡り2011(後半:水口岡山城・蒲生氏鄕公遺髪塔・蒲生賢秀の墓)

4.水口岡山城・・・甲賀市水口町水口。1585年、豊臣秀吉の命で中村一氏が築城。城と共に城下町も整備され現在の甲賀市水口町の基礎が築かれる。関ヶ原の戦いで当時の城主・長束正家が西軍に付いたため落城。その後、廃城となった。
感想:最近になって山頂付近に駐車場が整備され行きやすくなった・・・のだが、この日は道の一部が陥没して車が通れなくなっていた。仕方なく浄水場のようなところに車を駐めて歩いていった。

(西の丸跡)

(本丸石垣跡。時期が悪くて草が邪魔している・・・)

(阿迦之宮。長束正家の霊も祀られている)

(伝・本丸跡)


5.水口城・・・甲賀市水口町本丸。1634年、徳川家光が京都に上洛する際の宿舎として築かれた。しばらくは将軍の宿舎として使われていたが、1682年に加藤嘉明の孫・明友が入り、水口藩の居城となり明治維新を迎えた。現在は模擬櫓が建てられ水口城資料館となっている。
感想:前回閉まっていた資料館が開いていたけど、時間がなかったため今回も入らなかった。

(櫓)

(濠)


6.蒲生氏郷公像・・・蒲生郡日野町上野田。
感想:近くに氏郷公記念館という建物が地図に載っていたので行こうかと思っていたが、現地に行ってみるとただの公民館のようだったので入らなかった。

(正面)

(後ろ姿)

7.信楽院・・・蒲生郡日野町村井1500。浄土宗。開山された年は不明。この地方を治めていた蒲生氏の菩提寺で、戦国時代に現地に移転された。
感想:この辺りの道は狭いので運転には注意が必要(信楽院に駐車場はある)。
(山門)

(1739年に建てられた本堂)

(蒲生氏鄕公遺髪塔)

8.蒲生貞秀の墓・・・蒲生郡日野町村井。貞秀は蒲生氏中興の祖で蒲生氏郷の高祖父。信楽院の南西を渡河した田んぼの中にある。

9.法雲寺・・・蒲生郡日野町西大路1373。浄土宗。蒲生氏郷の父・賢秀の菩提寺。

(山門)

(左が蒲生賢秀の墓。右は市橋利政の墓。利政は江戸時代に日野町を治めていた仁正寺藩の嫡子だったが廃嫡されている)

10.日野城(中野城)・・・蒲生郡日野町西大路。蒲生定秀が1533年から3年間をかけて築城し同時に城下町も作る。氏郷もここで生まれている。1584年に氏郷が松ヶ島に移封されると田中吉政・長束正家が入るが、関ヶ原の戦い後に廃城となる。江戸時代、城址に仁正寺藩の陣屋が築かれた。1965年、ダムの造成により土塁などは壊されたが石垣の一部が残っている。
感想:天気が悪い上に林の中にあるのでとにかく暗い・・・。写真を撮るのに苦労した。

(蒲生氏鄕公産湯の井戸)

(城址碑。遺構からは若干離れた場所にある)

(石垣)

(石垣その2。七年前に撮ったもの)


 これにて本日の史跡巡りは終了。休日最後の1000円と事故で渋滞している名神を使って愛知県まで戻った。
本日の感想:日野町内の運転は難儀した・・・。普通車で住宅街を走る際には注意してください。

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滋賀県南部史跡巡り2011(前半:三雲城・万里小路藤房の墓)

 2011年6月19日(日)、前々から計画していた甲賀地方の史跡巡りに行く。今日も残念ながら天候が良くない。

1.三雲城・・・湖南市吉永字城山。1487年、三雲典膳が築城。主家の六角氏は戦況が不利になると居城の観音寺城を捨てて三雲城に逃れることが度々あった。1570年、佐久間信盛に攻められ落城し、その後廃城となる。石垣などは水口岡山城を築く際に利用されたという。
感想:青少年自然道場の駐車場に駐めて登ったのだが、思ったより距離があり最初の史跡から疲労が・・・。
 この近くには至る所に三雲城の幟があるため、場所が分かりやすい。住宅街を通るので迷う車が多く危険だったのだろう。

(登り口にある碑)

(石垣)

(ここが古井戸かな、と思ったら・・・)

(この先にある古井戸の案内だった)

(土塁)

(堀切)


2.妙感寺・・・湖南市三雲1758。後醍醐天皇の側近・万里小路(藤原)藤房が開山したといわれる。藤房は建武の新政で恩賞方筆頭となったが、天皇に諫言して疎まれ隠棲。妙感寺で晩年を過ごしたと伝わっている。
感想:藤房のことは良く分からなかったが三雲城の麓にあったので寄ってみた。

(本堂)

(万里小路藤房の墓)

(不老の滝)


 寺を出ると三雲城で体力を消費したので昼食を取った。

(久々の天理ラーメン)

3.甲賀流忍術屋敷・・・甲賀市甲南町竜法師2331。元禄年間に建てられた甲賀武士・望月氏の旧宅。外敵に備えるため様々な仕掛けがある。
感想:住宅街の中にあり道が狭かった。建物の中には興味がなかったので、外観だけ写して次の目的地へと向かった。


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東濃史跡巡り2011(岩村城・妙向尼の墓・美濃金山城)

 2011年6月18日(土)、前日に突然友達に誘われて東濃地方に行くことになった。

1.岩村城・・・岐阜県恵那市岩村町城山。1185年、加藤景廉によって築かれた。景廉の子孫・遠山氏が支配したが、戦国時代に入ると武田軍によって奪われる。その後、織田軍が奪回し織田家の重臣が城主を務めた。明治維新で建物は取り壊されたものの石垣などが良好に残っている。

感想:2009年に行っているので案内をしただけ。途中で土砂降りになったため、下から登るのは断念し車で本丸まで上がった。本当は下からじっくり案内したかったのに残念。

(太鼓櫓)

(本丸埋門)

(駐車場と売店蘭丸)

(岩村城歴代将士慰霊碑)


 続いて可児市の兼山に移動。まずは蘭丸亭で野戦なべを食す。2006年に来た時にはなかったバイキングが付くようになった。『板東リサーチ』で兼山地区が取り上げられた時はお客さんが多くて大変だったらしい。

 その後、蘭丸のキーホルダーやお酒が欲しくて売店に寄る。ここでも『板東リサーチ』の話が出た。自分たちがどこから来たのか話していないのに『板東リサーチ』の話題が出るところを見ると、東海地方のローカル番組だってことを認識していないんじゃあないだろうか。

2.常照寺・・・岐阜県可児市兼山580。森可成の妻・妙向尼と妙向尼の父・林常照の墓がある。

(山門。最近、建て直されたようだ)

(左が妙向尼、右が林新右衛門常照の墓碑)

3.可成寺・・・岐阜県可児市兼山596。1570年、近江宇佐山で戦死した可成の菩提を弔うため、息子・長可が創建。
感想:長可・蘭丸らの墓が2010年7月の土砂崩れのため倒木などで埋まってしまったと聞いていたので、どうなっているのか心配だったが復旧していて一安心。

(蘭・坊・力の三丸の墓)

(2006年当時の墓)

4.美濃金山城・・・岐阜県可児市兼山。斎藤道三の命を受けた斎藤正義が当地に烏ヶ峰城を築いたのが始まり。1565年、織田信長が美濃を抑えると重臣・森可成が入り、以後、森忠政が信濃海津城に移封されるまで森氏三代の居城となる。

(展望台から見た「蘭丸ふる里の森」。雨で景色が残念なことになっていた)

(晴れていたらこんな感じ)

(三の丸門跡)

(大手門の土台石)

(天主台西南隅石)


 これにて終了。愛知県に帰った。

本日の感想:梅雨だから仕方ないけど、晴れた日に友達を案内したかったな・・・。

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