長禅寺(大井夫人の墓)

住所:山梨県甲府市愛宕町208

 1552年、武田信玄が母・大井夫人の菩提を弔うために創建。武田信玄が定めた5つの寺院「甲府五山」の一つ。

(門)

(五重塔)

(大井夫人の霊廟)

(大井夫人の墓)

コラム:こういった場所ですから仕方がないのでしょうが、お寺までの道が狭かった・・・。
 墓地に巨大なお墓があったのですが、どなたのものか分かりませんでした。


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恵林寺(武田信玄の墓・秋山信友夫妻の墓)

住所:山梨県甲州市塩山小屋敷2280

 臨済宗妙心寺派。1330年の創建。武田信玄の厚い保護を受け、1564年には菩提寺に定められる。1582年、甲州征伐の際に織田信長軍の手によって灰燼に帰した。1606年に徳川家康によって再建される。

(四脚門)

(三門。武田家の残党や近江の六角氏を匿い逃がした住職・快川に激怒した信長は百人余りの僧侶らをここに集めて火をかけた。その時、快川が「心頭滅却すれば火も自ずから涼し」と言ったのは有名である。ちなみに火をつけたのは森長可の親族・関長安)

(三門の右横にある「天正亡諸大和尚諸位禅師安骨場」)

(夢窓国師築庭)

(武田信玄の墓。1672年、信玄の百回忌に当時の恵林寺の住職と旧臣の子孫が建立したもの)

(武田家臣供養塔)

(柳沢吉保夫妻の墓)

(秋山光朝の供養塔及び秋山信友夫妻の墓)


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鳥居畑古戦場・四郎作古戦場

住所:山梨県甲州市大和町田野

 1582年3月11日、武田勝頼に従っていた僅かな家臣が織田信長の数千の軍と戦ったのが鳥居畑古戦場である。
 同日、武田勝頼の勘気を被って蟄居させられていた小宮山内膳が勝頼のために駆け付け奮戦したのが四郎作古戦場である。

(鳥居畑古戦場)

(四郎作古戦場)

コラム:鳥居畑古戦場は景徳院の前にある下り坂を50メートルくらい歩いた場所に、四郎作古戦場はそこから更に50メートル程歩いた場所にあります。


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