四国・山陰史跡巡り2011(2日目後半:松縄城・讃岐飯田城・向城)

 知り合いを家まで送り届けると高松市の史跡を回る。昨日は市内東部だったので今日は市内中部を回ることにした(そういう区分が正しいかどうかは不明)。

10.松縄城・・・高松市松縄町287。香西氏の家臣・宮脇氏の居城。現在の熊野神社の辺りが城址と推測されている。
感想:神社は信号の名前にもなっていたので、この辺りでは有名らしい。

(熊野神社全景。宮脇氏は紀州の出で、その関係から熊野神社を勧請している)

(熊野神社拝殿)


11.讃岐飯田城・・・高松市飯田町定木。香西氏の家臣・飯田氏の居城。説明板と飯田氏を祀ったという茶臼塚があるが、城の正確な場所は不明である(定木地区にあったと伝わっているだけ)。
感想:茶臼塚の説明の部分が白く塗られていた。何か問題があったのだろうか・・・。

(茶臼塚)


12.神内城(木太城)・・・高松市木太町1530。植田氏の一族・神内氏の居城。城の東と南に宮川が流れ天然の濠となっていた。木太南小学校の南の校門に案内板がある。

(案内板と文字が消えていた標柱)

13.神内清定の墓・・・高松市木太町1245の辺り。神内城の西200メートル。神内城(木太城)の城主。神内清定は十河存保に属していたが、十河落城により領地を失っている。

(清定の墓と神内氏累代合碑)

14.向城・・・高松市木太町向井。香西氏の家臣・真鍋祐主の居城。もとは奥城と呼ばれていたが、神内城が築城されると相対する城となったので向城と呼ばれるようになった。現在の小原神社辺りと言われている。

(小原神社。藤堂高虎の家臣・西嶋八兵衛がこの辺りで新田開発を行なった際、疫病が流行し多数の死者が出たため神社を建てて葬った)


 真鍋祐主の墓も近くにあったらしいのだが、疲れたので諦めて切り上げた。ホテルに戻ってすぐに寝た。

後半の感想:後日、茶臼塚についての説明板を建てた団体に問い合わせてみたが「15年も前のことなので当時の人が引退し分かるものがいない」との返答があった。じゃあ塗られたのはかなり前のことなのか・・・?

写真の提供についてはこちらをクリック


四国・山陰史跡巡り2011(2日目前半:岡豊城)

 2011年4月30日(土)、今日は高松市で地元の方と合流してから高知に向かう。しかしその方に仕事の電話が入ってしまったため、昼過ぎには戻らないといけなくなった。

9.岡豊城・・・南国市岡豊町八幡。長宗我部氏の居城。
感想:高知県立歴史民俗資料館を初めてじっくり見た(前は時間ギリギリでさっと眺める程度だった)。

 今回、ここに来たのは出来たばかりの望櫓を見るため。3月にネットで写真を見た時より櫓らしくなっていた。

(望櫓)

(望櫓から見た香長平野。晴れていたらねえ・・・。残念)


 続いて知り合いの希望で高知市内のひろめ市場に移動。おお・・・やはり昼から結構な人が飲んでるなあ。
 自分たちは焼きサバ寿司とかつおたたき弁当を購入。かつおたたき弁当は高知では有名らしい。

 焼きサバ寿司は餅米を使っているようなもっちりした食感。焼きサバも旨い。途中からくどくて二人でも辛くなってきたが・・・。カツオのたたきもあったし。
 こんな感じで普通の観光をするのは久しぶりだなあ・・・。たっぷり食べた後、香川県に戻った。
前半の感想:何とも中途半端な旅行になってしまった。しかも美味しいうどん屋に案内してもらう話も無くなったしTT

写真の提供についてはこちらをクリック


四国・山陰史跡巡り2011(1日目後半:前田城・八栗寺)

 虎丸城に登ってお腹も空いたので、高松市への移動の途中にうどん屋に寄った。入ったのはさぬき市の『源内うどん』。名前の通り、この辺りが平賀源内の生まれ故郷で、それにちなんでいる。

 ここで天ぷらうどんを食べた。味は・・・まあ旨かったと思うよ。

5.数珠懸孫兵衛久重の墓・・・高松市牟礼町牟礼。八栗駅の北、徒歩10分くらいのところにある。孫兵衛は長宗我部元親の家臣で歴戦の勇士だったが八栗城を攻めた際、戦死している。
感想:高知県側での資料で名前を見たことがないが、元親の一の家来だったらしい。

(墓。なぜか二つある。地元の方が今でも綺麗にされているようだ)

(今流行の萌えキャラってやつだな・・・)


6.中村氏宗夫妻・宗卜の墓・・・高松市牟礼町牟礼。六万寺駅北西200メートルくらい、白羽神社の南にある。中村氏は田井城主だったが、宗卜の時代に火災のため八栗城に移る。1583年、長宗我部元親に攻められ備前に逃亡した。
感想:逃亡したのに宗卜の墓があるのは、四国征伐後に讃岐に戻ってきたため。

(左の二基が中村宗卜の両親・氏宗夫妻、右の墓が宗卜の墓)


7.八栗寺・・・高松市牟礼町牟礼3416。四国八十八ヶ所の第八十五番札所。空海が中国に渡る前、寺のある五剣山に登って八つの栗を埋めたことからこの名が付いたという。ここに中村氏が元親に対抗するために籠もった八栗城があった。
感想:駐車場が良く分からなかったため、他の人に倣って近くに路上駐車した。

(墓地。この辺りが本丸だったらしいが・・・)

(本丸跡から屋島方面を望む。どこから見ても屋島は分かるなあ・・・)

(山門)

(八剣山。雄大)


8.讃岐前田城・・・高松市前田西町。十河氏の分家・前田氏の居城。長宗我部軍の讃岐侵攻で落城した。本丸跡・二の丸跡・土塁などが残る。
感想:元親に抵抗した前田甚之丞の墓も近くにあると聞いたのだが良く分からなかった。

(本丸跡入り口に立つ標柱。中は墓地になっており前田家の墓もあった)

(土塁)


後半の感想:高松市には何度も来ているので行くところが無くなってきたので、中途半端にマニアックな史跡ばかりになってしまった。

写真の提供についてはこちらをクリック