住所:三重県名張市丸之内
最初は土豪の砦であったが、1585年に筒井氏が伊賀に移封された際、家臣の板倉氏が名張に城を築く。1608年、筒井氏が改易され藤堂家が入ると城代が置かれた。一時廃城となるが、1636年に高虎の養子・高吉が伊予今治から移封され、藤堂本家の家臣となると名張城跡に名張陣屋を築く。その後、名張藤堂家の陣屋として明治維新を迎えた。現在、陣屋の一部が残っており一般に公開されている。
コラム:雰囲気が良かったので、時間があればゆっくりしたい気分になりました。
住所:三重県名張市丸之内
最初は土豪の砦であったが、1585年に筒井氏が伊賀に移封された際、家臣の板倉氏が名張に城を築く。1608年、筒井氏が改易され藤堂家が入ると城代が置かれた。一時廃城となるが、1636年に高虎の養子・高吉が伊予今治から移封され、藤堂本家の家臣となると名張城跡に名張陣屋を築く。その後、名張藤堂家の陣屋として明治維新を迎えた。現在、陣屋の一部が残っており一般に公開されている。
コラム:雰囲気が良かったので、時間があればゆっくりしたい気分になりました。
住所:三重県度会郡玉城町田丸
1336年に後醍醐天皇が吉野を拠点とし足利尊氏に対抗した際、北畠親房が天皇に呼応して南朝の拠点として築城。田丸が熊野路と参宮街道の要所に位置していたのが選定の理由だという。戦国時代まで北畠氏が領していたが、織田信長の次男・信雄が北畠氏の養子となった際、田丸城を北畠氏の居城とした。その後、蒲生氏郷が伊勢の多気・度会郡を賜った際、氏郷との繋がりがあった北畠氏の一族・北畠忠顕が城主となる。
関ヶ原の戦い後、岩出城主の稲葉氏が4万5千石の大名となって田丸に入る。稲葉氏が1616年に移封されると、藤堂氏が領したが、すぐに紀州徳川家の領地となり家老の久野氏が城代として入り明治維新を迎えた。遺構として移築門、石垣、堀がある。
(外堀の残石。2011年の桜橋掛け替え工事の際に発見された)
(富士見門。廃城で一度は市民の手に渡ったが、1984年に町が買い取り現在地に移築している)
コラム:ここの石垣は一見の価値有りです。
住所:三重県松阪市殿町
北畠氏の家臣が開拓した土地の一角に四五百(よいおの)森という丘があり、1588年に蒲生氏郷が松ヶ島城からそこに移転して築城したのが始まり。氏郷は築城後に「座」を廃止し楽制にして商売がしやすいようにしたため商人が集まり、その後の商業都市・松阪の基礎を築いた。
蒲生家が会津に移封されると服部氏・古田氏を経て紀州徳川家の管轄となる。天守は一国一城令で壊される予定だったが、費用の関係から放置され江戸時代に崩壊した。1794年、二の丸に陣屋が建てられたが1877年に焼失。門などものちに取り壊され、米蔵のみが現存している。
現在は松阪公園として整備されている。
感想:やはりここの見所は石垣ですねえ。