賤ヶ岳古戦場

住所:滋賀県長浜市木之本町大音

 賤ヶ岳の名前の由来は、弘法大師が伊香具神社に参拝して一人の女性と出会った際「どなたですか?」と訊ねたところ、「西方に高き山あり。これ賤の住みたる所なる」と答えたことからだといわれている。
 ここは1583年に豊臣秀吉と柴田勝家が争った賤ヶ岳の戦いの舞台として有名である。現在は琵琶湖八景の一つとして観光名所になっている。

(碑)

(山頂にある銅像)

(賤ヶ岳の戦い戦死者供養の石仏)

(琵琶湖)

(余呉湖)

コラム:写真では伝わりづらいですが、山頂からの景色は最高です。歴史に興味のない方と一緒でも楽しめます。


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近江長浜城

住所:滋賀県長浜市公園町

 京極氏が出城として築城し家臣が在城した。その当時は今浜城と呼ばれた。1574年頃、豊臣秀吉が今浜城の跡に城を築き、織田信長の名を取って長浜と名を改めている。1585年、山内一豊が城主となる。1606年に内藤氏が城主となったが摂津高槻城に移封されたため廃城となった。城の大半は彦根城に移された。今の天守は1983年に長浜城歴史博物館として建てられたものである。

(模擬天守)

(本丸跡の碑)

(城内にある豊臣秀吉の像)


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近江水口城

住所:滋賀県甲賀市水口町本丸4103

 1634年、徳川家光が京都に上洛する際の宿舎として築かれた。その際、小堀政一が作事奉行を務め、10万人が動員されている。しばらくは将軍の宿舎として使われていたが、1682年に加藤嘉明の孫・明友が入り、水口藩の居城となり明治維新を迎えた。建物は明治後に壊されたが、模擬櫓が建てられ水口城資料館となっている。

(門)

(櫓)

(本丸跡の石垣)

感想:近くに水口岡山城という長束正家がいた城がありましたが、大変そうな山城だったのでやめました。資料館は案内では営業日になっていたにも関わらず休館でした。


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