高知・愛媛思いつき史跡巡り2011(2日目:伊予松山城・子規堂・秋山兄弟生誕地)

 1月30日(日)、高知市内でゆっくりと朝食を取った後、松山市に移動。

8.伊予松山城・・・愛媛県松山市丸之内1。現存天守が残る城の一つで、門や櫓なども多数現存している。
感想:今回のメインは昨年に出来た加藤嘉明の像。しかし本丸に登った後に像は下のロープウェイ乗り場にあると知った。松山城が文化財の扱いなので城内には建てることが出来なかったらしい。
 前回はそのロープウェイを使ったが、今回は下からじっくりと登ってみた。いい城だねえ・・・。

(二の丸の石垣)

(友達が「坂の上の雲」で主人公達が花火を上げたところじゃないかな、と言っていた。言われてみればそんな気もする)

(筒井門)

(天守。前回、入ったので今回はここで引き返した。よしあき君ってここにいったっけ? 2年半前に来た時は売店の前にいたような気が・・・)

加藤嘉明の像)


9.道後温泉・・・松山市道後湯之町5-6。小説「坊ちゃん」で有名になった名湯。
感想:ここには別の目的があって来た。

(近くの喫茶店から撮った写真)

(このキャラクターのグッズを買いに来たのが目的)

10.子規堂・・・愛媛県松山市末広町16-3。正宗寺内にある。正岡子規が17歳まで過ごした邸宅を復元して1946年に建てられた。子規の遺品などがある。
感想:寒くて何があったのか覚えていないくらい早々に立ち去った。もう少し暖かければじっくり見たのだが・・・TT

(子規堂)

(夏目漱石の像。首だけって恐いんですけど・・・)

(子規遺髪塔)

 次の場所に移動中している際、見えた伊予松山城。


11.秋山兄弟生誕地・生家・・・松山市歩行町2-3-6。秋山好古・眞之兄弟の生家。秋山家は松山藩の徒目付で松山城からほど近いこの地に家を構えていた。1945年に空襲で焼失したが、2005年に復元された。
感想:加藤嘉明の像のすぐ側だった・・・。気がつかなかった。

 まずは秋山兄弟の一生をDVDで見た後、館内の方に説明を受けた。二人兄弟じゃなかったのね。初めて知った。

(生家)

(秋山好古の像)

(秋山眞之の像)


 本日はこれにて終了。大阪に戻った。
本日の感想:今治市にも行きたかったけど、時間がなかったので断念した。バリィさんグッズは松山市で買えたしね。
 二日間、付き合ってくれたN君、ありがとう! 5年後にまた会いましょう!

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高知・愛媛思いつき史跡巡り2011(1日目後半:久武肥後守の墓・長宗我部一族累代の墓)

5.若宮八幡宮・・・高知市長浜6600。
感想:来るのは5度目くらいかな? 元親の本を出版できたのでお礼参り。

(これが模擬馬防柵だって初めて知った・・・)

(長宗我部元親の像。こんな静かな時に来たのは久しぶりだ・・・。ここに設置してある「元親公への手紙」というノートは「アニキ!」だらけだった。もう「アニキへの手紙」でいいんじゃないかな)

(拝殿)


6.久武肥後守の墓・・・高知市西久万。久万墓地公園内にある。肥後守は久武親信・親直の父。
感想:山中を探し回らないといけないと思っていたら、整備された墓地の中にあって一安心。


7.長宗我部一族累代の墓・・・南国市岡豊町八幡。
感想:昭和の時代の写真を見ると、上段の墓に「長宗我部国親の墓」という標柱があったようだが、朽ちて撤去されたようだ。


 本日はこれにて終了。高知市内の宿に泊まった。

本日の感想:友達の好意で、諦めていた長宗我部文書が見られたので満足。

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高知・愛媛思いつき史跡巡り2011(1日目前半:山内神社・称名寺・播磨屋宗徳の墓)

 5年振りくらいに大阪の友達・N君と話しているうちにどこか行こうということになった。長宗我部歴代の新史料8点の展示が高知市であるから行きたいとお願いしたら、あっさり目的地決定。
 2011年1月28日(金)、近鉄を使って大阪に移動。それからなんやかんや乗って友達と合流し一泊させてもらう。
 29日(土)、友達の車で高知県に向かう。

(南国SAで食べたアイスクリン・龍馬の海。普通のアイスクリンだった。何でも龍馬ってつければいいってもんじゃないと思うんだけど・・・)

1.土佐山内家宝物資料館・・・高知市鷹匠町2ー4ー26。土佐藩主・山内家に伝来した歴史資料・美術工芸品を展示している。
感想:2006年に入館した時より綺麗になっていた。メインの長宗我部歴代の書状をじっくりと見た。内容については詳しくまとめている人がいると思うので、検索してそちらを参考にして下さい。
「この盛親って奴、いらちっぽいな」
 N君が盛親の書状を見た時のその言葉が印象に残っている。急いでいたのか殴り書きっぽく見えた。

2.山内神社・・・高知市鷹匠町2-4-65。土佐山内家宝物資料館の隣にある。最後の土佐藩主・山内豊範が先祖を祀るために建てた。
感想:N君は「親戚で高知に嫁いだ子がここで結婚式を挙げた」と言っていた。他の人から同じような話を聞いたことがあるので、ここで結婚式を挙げるのが高知では定番なのだろう。

(拝殿?)

(山内容堂公銅像)


3.称名寺・・・高知市升形8ー19。江戸時代までは高知市潮江にあり、金子元宅の娘・かねの墓があったが、廃仏毀釈で廃寺。その後、現在の場所に再建された。また升形にはかねの屋敷があったと伝わっている。現在は何も残っていない。
感想:住職さんからいろいろなお話を聞けた。ファンの間では有名かもしれないが、元親は雪が降る土地に憧れて生前に「雪蹊恕三」という法名をもらったらしい。真偽の程は不明だが、興味深い逸話だった(高知も山間部は雪が降るよ、という突っ込みは無しでお願いします)。

(山門)


4.播磨屋宗徳の墓・・・高知市瀬戸東町1丁目。横浜小学校の西側。宗徳は元親が讃岐に侵攻した際、兵糧を調達した功で土佐に招かれる。山内家の治世になると高知市街に移り、櫃屋との間に有名な播磨屋橋を架けた。
感想:案内版はあるものの墓までの道は舗装されておらず、犬のウ○コが至る所に落ちていた。播磨屋橋は観光名所になっているのに、架けた当人の扱いがあまりよろしくないのが悲しい。

(播磨屋宗徳記念碑。右の坂から下りてきた)

(播磨屋(高島)家累代の墓。どれが宗徳さんの墓かは不明)


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