愛知県西尾市周辺の史跡巡り2010(後編:幡豆寺部城・佐久間盛政の供養塔)

9.幡豆寺部城・・・愛知県西尾市寺部町。今川氏・徳川氏に属した水軍・小笠原家の居城。三河にはもう一つ豊田市に寺部城があり区別するため、幡豆寺部城と呼ばれている・・・のかな?

感想:幡豆郡の中では良好に史跡が残っている城の一つだそうな。この小笠原氏が諸島を発見して小笠原諸島と名前が着いたそうな。でも、これには否定説も根強いらしい。

(全景。構図が悪すぎる・・・)

(分かりづらいけど土塁)

(三河湾を望む)


10.西福寺・・・愛知県西尾市吉良町吉田桐杭27。浄土宗。明治時代に岡崎市の伊賀八幡宮から移築された鐘楼がある。
感想:相変わらず三河はいきなり立派な建物が出てくるなあ・・・。天下人の威光やなあ・・・。

(本堂)

(鐘楼)

11.海蔵寺・・・愛知県西尾市吉良町荻原大道通5。県指定文化財の木造阿弥陀如来坐像と雲版が有名らしいが、今回の目的はそれではなく佐久間盛政の供養塔(?)。
感想:隠れるようにひっそりとあった。敗者のお墓は悲しいのう・・・。

12.金蓮寺・・・愛知県西尾市吉良町饗庭七度ケ入1。1186年に三河守護・安達盛長が建立した弥陀堂が国宝に指定されている。

13.親宣寺・赤羽根古城・・・愛知県西尾市一色町大字赤羽字上郷中14。吉良氏に属していた高橋氏の居城。1561年、三河統一を企む徳川家康の家臣に落とされた。
感想:親宣寺の山門は立派。とにかく立派。一見の価値有り。大樹寺に匹敵するんじゃないだろうか。

(山門横に建つ赤羽根古城の碑)

(親宣寺の山門)


 ここで予定は終了。まだ15時前・・・。陽は高い。どうしようかってことになったので、私が思いつきで「蒲郡の形原城に行きたい」と口にしたら、その通りになった。

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愛知県西尾市周辺の史跡巡り2010(中編:藤波畷古戦場・東条城)

5.華蔵寺・・・愛知県西尾市吉良町大字岡山字山王山59にある。(江戸時代の)吉良氏の菩提寺。
感想:地元の方も来ていて今でも吉良さんが慕われているのが分かった。
 罪もないのに殺されて御家は断絶、挙げ句に後世では悪者にされて・・・上野介さんって本当に可哀想・・・TT

(吉良上野介の墓)

(山門)

6.花岳寺・・・西尾市吉良町大字岡山字山王山67。華蔵寺と隣接している。室町時代に活躍した吉良氏の墓がある。
感想:赤穂藩主の菩提寺と同じ名前なのは偶然なのか理由があるのか。偶然だとしたら皮肉だな・・・。

(徳川家康の父・広忠を保護したとの説がある吉良持広の墓)


7.藤波畷古戦場・・・西尾市吉良町大字瀬戸字藤波。1561年9月、東条城主・吉良義昭と徳川家康が戦った場所。吉良軍は重臣・富永伴五郎を失うなど大敗し、それが東条城落城に繋がっている。
感想:碑しかない。それは良くあることだが、碑に説明がないので何の戦いなのかここに来ただけでは分からない。案内板くらいは欲しいな・・・。


8.東条城・・・西尾市吉良町駮馬城山。吉良氏の居城。1561年、三河統一を企んだ徳川家康に藤波畷で敗れた城主・義昭は降伏し開城した。1590年、徳川家の関東移封で廃城となる。曲輪などが残っている。
感想:良く整備され、ほどほどに復元されていた。町民の憩いの場になっている雰囲気があった。

(復元された門と櫓)

(碑)

(東条城から吉良町内を望む)


 ここで昼食を取って再び史跡巡り。昼までにすでに八ヶ所。ハイペースな史跡巡りだ・・・。

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愛知県西尾市周辺の史跡巡り2010(前編:今川氏発跡地・鎧ヶ淵古戦場)

 2010年3月14日(日)、西尾市出身の方に史跡を案内していただけることになった。西尾市って普段あまり用がないので行かないんだよね^^;

1.西尾城・・・西尾市錦城町にある。牧野氏・酒井氏・本多氏などが城主を務めた。現在、建物は残っていないが櫓や門が復元されている。三河の小京都・西尾の象徴。
感想:来るのは三度目かな? 前と変わっていないので特に感想はない。

(門)

(櫓。今回、初めて中に入れた。いつも閉まっていたので・・・)


2.今川氏発跡地・・・西尾市今川町土井堀。西尾中学校のそばにある。足利氏から分かれた吉良氏から更に分かれた分家が地名を取って「今川」と名乗ったのが、この場所。室町時代に活躍した今川氏発祥の地である。
 発祥の地の碑と、南北朝時代に九州で活躍した今川了俊の墓がある。
感想:一度は来たいと思っていたが機会がなく延び延びになっていた。念願叶ったよ・・・TT

(今川氏発跡地の碑)


3.黄金堤(こがねづつみ)・・・西尾市吉良町岡山字下り松にある。江戸時代の名君・吉良上野介が洪水に苦しむ領民のために築いた堤。現在は桜の名所となっている。
感想:水害を防ぐために川の流れが変えられったようで役目は終えている。長い堤を想像していたが、かなり削られていて100メートルくらいしかなかった。

4.鎧ヶ淵古戦場・・・西尾市吉良町岡山字下り松。黄金堤のある公園内にある。三河統一を目指す徳川家康(松平元康)と、この辺りを支配していた吉良義昭が1561年が激突した場所。松平軍は伏兵の攻撃で敗北を喫し、多数の兵が淵に沈んだ。その後、その兵達の鎧がしばしば見つかったので、その淵は「鎧ヶ淵」と呼ばれるようになったという。
感想:吉良氏って、あっさり滅んだ印象があったけど結構がんばっていたのね。


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