矢作川沿い史跡巡り2010(後編:本證寺・安祥城)

8.上宮寺・・・岡崎市上佐々木町梅の木36にある。浄土真宗本願寺派の寺で三河三ヶ寺の一つ。家康の家臣がここから糧米を強引に徴収しようとしたため、三河一向一揆が起こっている。本堂は1988年に焼失したが、1996年に21世紀にあるべき姿を考慮して建て直された。
感想:たまにこういう斬新なデザインに建て直されたお寺を見るけど昔のままでいいんじゃあ・・・。本来の姿だと維持が大変なんでしょうか?

(山門?)

(本堂。何か発射しそうだな・・・)

(本願寺系寺院の再興を願い出た家康の叔母・妙春院の供養塔。岡崎での本願寺派中興の祖として讃えられているようだ)


9.本證寺・・・城市野寺町野寺26にある。三河三ヶ寺の一つ。三河一向一揆の拠点。1564年、近くの小川の戦いで敗れ住職が逃亡し廃寺となる。1585年に再興された。
感想:どう見ても平城。

(壕)

(鼓楼。寺院で、時刻を告げるための太鼓をかけておく楼閣のこと。古くは、鐘楼に相対して建てられた)

(本堂)


10.安祥城・・・安城市赤塚にある。岡崎城に移るまでの松平氏の居城。織田・今川・松平の争奪戦の舞台となった。織田・徳川の同盟後に廃城となる(小牧・長久手の戦いで使われたという説有り)。現在は安城城趾公園となっている。
感想:公園内にある安城市歴史博物館が休みだった。残念・・・TT


 本日はこれにて終了。岡崎市に戻って知り合いとあった。

本日の感想:取りあえず自分の作ったMAPに間違いがないのは確認できた。
 特にそういうつもりは無かったが、矢作川沿いを廻っていたら成り行きで三河一向一揆巡りみたいになってしまっていた。

写真の提供についてはこちらをクリック


矢作川沿い史跡巡り2010(中編:光明寺・植村栄安の生誕地・妙源寺)

5.光明寺・・・岡崎市矢作町加護畑69にある。松平親氏が病に倒れた際、住職の介抱で救われた。その関係から親氏は先祖の位牌を納め、現在も保管されている。
 家康は今川家の人質になっていた時代から岡崎に来るとここに訪れていたという。
感想:親氏の墓もあるらしいのだが分からなかった。


6.植村栄安の生誕地・・・岡崎市東本郷町古屋敷にある。松平清康・広忠、徳川家康の三代に仕えた譜代の家臣。清康・広忠二代にわたって主君の仇を討ったことで知られている。
感想:昔は屋敷。今は地域住民最寄りの郵便ポストがあるところ。近所の人の多くはこの碑が何なのか分かっていない可能性が高い。


7.妙源寺・・・岡崎市大和町沓市場65にある。三河一向一揆の際、家康に味方しここに難を逃れたことがある浄土真宗本願寺派のお寺。国宝の柳堂が良く知られている。徳川家家臣の墓が多数ある。
感想:前に何度か来たことがあったけど雰囲気が好きなので、また来てしまった。隣の空き地がマンションになっていた。
 ここはいつ来ても静かで気分が落ち着くなあ・・・。

(入り口)

(手前が柳堂。奥が本堂)

(安藤家歴代の墓)


写真の提供についてはこちらをクリック


矢作川沿い史跡巡り2010(前編:隣松寺・勝蓮寺・矢作神社)

 2010年1月4日(月)、1~3日は所用があって行けなかった初詣も兼ねて岡崎市の史跡に行った。
 豊田東インターを降りるといざ初史跡巡り!

1.隣松寺・・・豊田市幸町隣松寺126にある。三河一向一揆の際、徳川家康が一揆に加担した三河上野城への攻撃拠点とした。境内にある稲荷社は父・広忠が家康の成長の無事を祈り、家康は三河上野城攻撃の際、戦勝祈願をして勝利している。
感想:都会とは言えない場所にあるのにお寺は立派。天下人と関係するとやっぱり違うなあ・・・。ところどころにあったまったくさりげなくない葵の御紋が素敵。
 ちなみに毎年7月28日の15時頃から家康の遺品を陰干しされているそうです。

(仁王門)

(稲荷社)

(本堂)


 次の目的地まで直線距離だとすぐなのだが・・・矢作川のせいで行くことが出来ず遠回りするしかなかったTT

2.足利尊氏の石宝塔・・・岡崎市大門三丁目29-6にある。八剣神社本殿の裏にある。この辺りに領地を持っていた足利氏の氏族が建てた供養塔と考えられている。
感想:ひっそりとありました。大門駅から近いですが訪れる人は少なそうです。


3.勝蓮寺・・・岡崎市矢作町宝珠庵16にある。一七代住職・行誓が松平信康と親しく、信康の肖像画など数多くの遺品が残されている。
感想:旧東海道沿いにある。昔はかなり広かったようだが、宅地開発などで縮小してしまったようだ。


 勝蓮寺の近くの矢作橋の袂にあった「小六と日吉丸・出会いの像」をここ数年見ていないので、代わりにずっと建っているお知らせをじっくりと見てみた(いつも車で通りすぎていて見られないので)。

・・・いつになるんだろう。そしてどこに安置してあるんだろう・・・。
4.矢作神社・・・岡崎市矢作町宝珠庵1。矢作川沿いにある。日本武尊が東夷(あずまえびす)と戦った際、川の中州にあった竹で矢を作り勝利。それ以来、矢を作った川ということで「矢作川」と呼ばれるようになった。その戦いの前に勝利を祈ったのが、ここ矢作神社である。
 境内には新田義貞が足利尊氏と戦った際、矢作神社に祈ったところ、石がうなったという「うなり石」もある。
感想:勝蓮寺の入り口が分からず通り過ぎてしまい間違って入ってしまったが、それが逆に良かった。
 ここで初めて矢作という名前の由来を知った。日本武尊と関係があったのか・・・。

(本殿)

(日本武尊の像)

(うなり石と矢作やぶ)


写真の提供についてはこちらをクリック