四国史跡巡り2009(1日目後半:重清城・岩倉城・脇城・王子神社)

7.重清城・・・徳島県美馬市美馬町字城53番地にある。長宗我部元親と三好(十河)存保の争奪戦の舞台。当初、三好氏の城だったが、謀殺され長宗我部軍の手に落ちてしまう。十河軍が3千の兵で攻め奪い返したものの、長宗我部軍の逆襲で再び元親の支配下となった。
感想:土塁や堀の整備は良い・・・が本殿(?)の荒れっぷりはひどい。こんなにひどく荒れている本殿は今まで見たことがない。これは震度4くらいの地震で崩れてしまうのではないだろうか・・・。子供が秘密基地とかにすると危ないので美馬市には何とかしていただきたい(重清城は市の指定史跡になっている)。

(堀)

(これですわ・・・。中はゴミとか捨ててあり、あまりにもひどかったのでお見せできません><)


8.阿波岩倉城・・・美馬市脇町田上にある。東に1キロほどの場所にある脇城と共に阿波西部の重要拠点だった。三好氏の城だったが1579年に城主・三好康俊が長宗我部軍に降伏。しかし本能寺の変の直前に康俊が三好側に帰属したため、長宗我部軍によって落城した。その後、長宗我部一族の比江山親興が守備したが、1585年の四国征伐で黒田如水によって落とされている。その後、廃城。
感想:名前を良く聞くので一度は行ってみたかった城。ここまでの道が狭く苦労した・・・TT

(城に続く道)

(伝・三好康俊(式部大輔)の墓)

9.脇城・・・美馬市脇町脇町にある。三好氏の城だったが長宗我部軍によって落城。四国征伐時には長宗我部親吉が守備したが、豊臣の大軍の前に敗走している。その後、阿波九城の一つとなり、蜂須賀家の家臣・稲田氏が入ったが1638年に廃城となった。
感想:時間が無くて空堀などには行けなかったTT


10.王子神社・・・藍住町徳命元村東にある。中富川の戦いの戦死者を弔った祠。毎年、10月1日に祭礼が行われる。
感想:『戦国BASARA 武将巡礼Vol.3長曾我部元親』に載っていた中で、唯一知らなかった史跡だったので行ってみた。書いてある通り、本当に田んぼの真ん中にあるよ・・・。収穫が終わった後じゃあないと行けない場所だ。
 なぜに戦国BASARAの本はここを紹介したのか理解に苦しむ。若一王子神社の方がいいと思うんだけど。

(さて神社はどこでしょう?)

(正解はここです)

(何とか近くにたどり着きました。看板が倒れていたので取りあえず見えるように立てておきました。後ろにビニールハウスがあったので、写真はこれが限界><)

 暗くなってきたのでこれにて史跡巡りは終了。徳島市で知り合いと会って飲んで遅くまで歴史について話す。このせいで翌日の体調が・・・。

感想:夜中から夕方までぶっとおしの行動でとにかくきつかった。そろそろ歳を考えて行動せんといけんなあ。

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四国史跡巡り2009(1日目前半:半田岩・田尾城・白地城・願成寺・芝生城)

 平成21年11月21日(土)、高知市の桂浜で長宗我部氏の講演会・シンポジウム・懇親会があるということで四国に行ってみた。朝の2時半に出たおかげで渋滞も無く楽々と淡路島まで着けた。油断すると吹田~宝塚までがえらいことになるんだよね・・・><
 仮眠を取るなど休憩し徳島県に到着。今日は念願の吉野川沿い史跡巡りだあ♪

1.半田岩・・・三好市山城町頼広にある。長宗我部元親が四国中央攻略の第一歩として田尾城を落とそうとした際、軍議を兼ねて休憩した場所。現在は神社となっている。
感想:紅葉と川を撮影に何人かの写真愛好家が来ていた。行きづらい場所にあるが一見の価値あり。

(水車と川)

(半田岩。岩の隙間をくぐると祠がある)


2.田尾城・・・三好市山城町岩戸にある。長宗我部元親が四国のヘソを抑えるため、攻略した城。力攻めでは落とせず火攻めによって落としている。
感想:お住まいの方には失礼だが、とにかくとんでもない山奥にある城。城というより四国山脈にある山の一つ。道が狭く私の普通車だと何度も切り返しが必要だった。しかも城の直前で工事しているし・・・TT 取りあえず事情を説明して工事の車を移動していただき事なきを得た。
 城は山頂には遺構が残っている。途中の復元は理解不能だった・・・。

(田尾城の入り口)

(写真だとよく分からないが堀切。上の橋は良く分からん)

(狭間。復元した理由が良く分からん。この城にあったとは思えないんだが)

(本丸。土塁らしきものがあった)

(田尾城本丸から見た風景。攻めづらそうな地形です)

(上記の田尾城の入り口の向かいにある長宗我部元親・最前線指揮所。ビビり・・・じゃなくて慎重な元親さん自身がここまで出張っていたかどうかは不明)


3.白地城・・・三好市池田町白地にある。戦国時代、大西覚養が城主だったが長宗我部元親に降伏。以降、元親の四国平定の拠点となった。交通の要衝で四国四県と境を接する。あわの抄(旧・かんぽの宿)が建設される際に大半の遺構が破壊されたが、土塁の一部などは残っている。
感想:前回は分からなかった碑と遺構に行った。何度も書くが遺構を破壊してまで、ここに宿を建てる必要があったのだろうか・・・?

(碑)

(多分、大西氏を祀る大西神社)

(あわの抄から見た三好市内。戦国時代と風景はかなり変わっているが、元親はこういった風景を見て四国制覇に思いを馳せたのであろう)


4.阿波大西城・・・三好市池田町上野にある。信濃から移ってきた小笠原長清によって築かれた。その後、小笠原氏は三好氏を称して勝瑞城に移って四国・畿内に一大勢力を築いている。四国征伐後、阿波が蜂須賀家に与えられると国境沿いの重要拠点として改修されたが一国一城令によって廃城となった。現在は池田幼稚園・小学校・中学校・高校が建っている。幼稚園の下に石垣が残っている。
感想:白地城のそば。元親が落としたのか、城主がすぐに降伏したのか記憶にない。関係があったことは間違いないでしょう。

(碑)

(石垣。なんとなく広島県の三原城を思い出した・・・TT)


5.願成寺・・・三好郡東みよし町昼間3004-1にある。白地城主だった大西覚養終焉の地。長宗我部軍に追い詰められた覚養はこの寺で1579年7月10日に自害したと言われている。覚養に関係するものは特に何も残っていない。

(山門)


6.芝生城・・・三好市三野町芝生にある。天下を獲った三好長慶の誕生地。断崖と空堀に囲まれた城だったそうだが、現在、遺構はなく案内板があるのみ。
感想:本当に何もない・・・。案内版があるだけ良しとするか。


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越前大野城

住所:福井県大野市城町3-109

 大野城は織田信長の家臣・金森長近が亀山に城を築いたのが最初と言われている。金森氏が飛騨の高山に移封になると、長谷川氏・青木氏・織田氏・土屋氏・小栗氏・松平氏と目まぐるしく城主が代わったが、1682年からは土井氏が城主となり幕末まで支配した。土井氏の中では藩政改革で成功をおさめた利忠が特に有名である。
 現在は亀山公園となり天守閣・門などが復元されている。

(復元された門)

(碑)

(復元された天守)

(金森長近の像)

感想:ここは天守まで登らないといけないんですが、道が整備されているためそれほどきつくないです。登る途中に『あと何分で着きます』っていう看板もあって気が楽でした。

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