湖東地区史跡巡り2009(後半:観音寺城・浄厳院・沙沙貴神社)

8.安土セミナリヨ跡・・・安土町下豊浦にある。1580年に建てられた日本最初の神学校の跡。殉教した三木パウロの顕彰碑もある。
(全景)

 ここで食事を済ますと、いよいよメインへ。安土と言えばもちろん・・・観音寺城である。一度は行って見たかったんだよね~♪
9.観音寺城・・・安土町石寺にある。六角氏の居城。日本最大級の山城。石垣・土塁・曲輪などが多数残る。山城好きはここで一日過ごしても飽きないだろう。いや、泊まっていくのかもしれない。
 山頂近くにある観音正寺の御開帳の時期とぶつかってしまい駐車場に行くまで結構待たされた>< その後、駐車場の前にある観音正寺の入り口から散策開始。
 途中に標語のようなものが木札が数メートル間隔で立っていた。その中で印象に残ったのが「友に金を貸すと、友と金の両方を失う」。確かに・・・。持ち合わせが無い友達に数千円を貸すならともかく、それ以上を友達から頼まれた時点で貸しても貸さなくても関係の終わりを覚悟するしかないですなあ・・・TT 友達に大金を貸してって言うことは、かなり追い詰められている状況以外ないから。
 そんなことを考えながら歩いていると「佐々木城はこっち」という看板を見つける。何となく行ってみた。結構、距離があった。
(佐々木城の碑。非常に見えづらいところにあった)

(イタズラなのか何かの願掛けなのか)

 佐々木城の碑や岩石を見ながら参道に戻り(この道が急で危険だった><)、観音正寺に行く。ここはさすがに賑やかだった。
(仁王像)

(本堂)

 一通り、観音正寺を見た後、観音寺城の遺構が残っている部分に行く。覚悟をして行ったのだが、観音正寺の裏からそんなに遠くない場所にあった(麓にある桑実寺から登ると大変らしい)。
 見事。その一言ですわ。信長に攻め落とされていないのが良かったのかな? これだけの城なら容易に落ちそうにないのだが、この頃の六角氏は内輪もめでガタガタで、とても守りきれるだけの兵力も家臣との信頼関係もなかったらしく戦うことなく逃亡している。城の規模が立派なのはいいけど、適正な兵数がいないと意味がないってことやね。
 そういや関ヶ原の戦いの時に広島城を守備していた毛利軍が「広すぎて守りきれない。吉田郡山城だったらこんなことなかったのに」と、ぼやいていたと書いてあったのを思い出した。
(石段)

(本丸の石垣)

(本丸の土塁)

(本丸全景。どこをどう撮っていいのか分からん・・・)

 本丸を堪能した後、家臣の屋敷跡に向かう。石段の横にある山道を行くのだが、ちょっと分かりづらい>< 縄張り図が無かったら気がつかなかったと思う。
(落合氏屋敷跡)

(平井氏屋敷跡)

(池田氏屋敷跡)

 これだけでもごく一部。じっくり廻れば一日楽しめる史跡となっている。ご家族やお友達と是非。
(観音正寺から見た箕作城?方角的にあっていると思うけどなあ)

 二時間ほど楽しんで観音寺城を後にした。
10.浄厳院・・・安土町慈恩寺744にある。六角氏頼が母の菩提を弔うために建てた威徳院が前身。その後、信長が兵火で焼失した跡地に建てたのが浄厳院である。1579年にあった安土宗論(浄土宗と日蓮宗が討論)の舞台として有名。
 ・・・だが、誰もいなかった。安土駅からは近いけど、ちょっと外れた場所にあるからなあ。お寺は荘厳で一見の価値ありなので、駅から歩いて行ってみましょう。
(楼門)

(本堂)

(鐘楼)

11.沙沙貴神社・・・安土町常楽寺1にある。佐々木源氏の氏神が祀ってある。佐々木源氏は宇多天皇の皇子・敦實(あつざね)親王を祖としている名門。佐々木源氏は源頼朝の挙兵に加わって近江の守護となり、戦国時代も佐々木源氏の流れを汲む京極氏と六角氏が南北を治めている。その後、六角氏は没落したが、京極氏は大名として生き残った。その他、福岡藩主・黒田家など多数の大名が佐々木源氏を称している。全国に300万人はいると言われる佐々木氏末裔の総本山(?)である。
 私は佐々木氏とはまったく関係がないけど行ってみた。とにかく広い・・・。行く前はそこそこ立派なんだろうなあ、とは思っていたけど考えが甘かった。やっぱり滋賀県は油断できん。
(鳥居)

(参道と楼門)

(本殿)

12.織田信長の像・・・安土駅にある。あ~・・・普通。可もなく不可もなくって感じ。
(銅像)

 これにて史跡巡りはお終い。彦根の宿に向かった。
感想:(後半の)安土町だけでこれだけ史跡があるとは・・・。さすがは織田信長と六角氏の本拠地だった場所だ。この調子だと滋賀県は探せばまだまだ行きたいところがたくさんあるな。

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