三重県史跡巡り2009(永松寺・九鬼家の墓所・鳥羽城・藤堂高虎の墓)

 2009年9月26日(土)、講演会があったので、また三重県に行った。

1.永松寺・・・伊勢市朝熊町1212にある。御家騒動の末、秋田実季が蟄居させられた寺。
 山門は現存のようだが、他は立て直されていた。

(山門)

2.常安寺・・・鳥羽市鳥羽2丁目12-3にある。九鬼守隆が父・嘉隆の菩提を弔うために建てた寺。九鬼家歴代の墓と、のちに鳥羽を治めた稲垣家歴代の墓がある。
 「井戸の近くに大量のハチがいます」って書いてあった張り紙があったのでびびりながら行ったが、そこまで行かずにすんだ。一安心・・・。

(本堂)

(九鬼家の墓所。中央が嘉隆の墓)

3.鳥羽城・・・鳥羽市鳥羽にある。鳥羽水族館から道を挟んで向かいにある山。九鬼家の居城。
 なんかどこ写せばいいのか困る史跡。石垣とかはあったけど・・・。有名な城の割には碑とかがないのが寂しいTT

(なんか工事していた。これは鳥羽城の石垣とは関係ないと思う)

(鳥羽の海)

4.寒松院・・・津市寿町5-24にある。藤堂家の菩提寺。
 ガソリンスタンドの横にあるのがいつも気になる。藤堂家の人達はうるさくて眠られないんじゃないだろうか・・・?

(藤堂高虎と側室・松寿院の墓)

(藤堂家歴代の墓)

 それから高山神社に行って、ついでに津城の高虎の銅像だけ写してきた。いつも行くのが夕方近いために必ず逆光なんだよねえ・・・>< だから、いつか逆光じゃない時に撮り直したかった。

(藤堂高虎の像)

 どうでもいい話だけど、高山神社から城の広場に出る道の途中、ど真ん中に猫が倒れていて「死骸か?」と思ったら寝ていただけだった・・・。人慣れしすぎ・・・。気をつけないとイタズラされちゃうよ。
 史跡巡りはここで切り上げて、講演会に参加。本日はこれにて終了。

感想:伊勢・鳥羽は津市からでも遠い・・・。三重県は広いなあ。さすが「うましくに」(意味はない)。

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丸岡城(霞ヶ城)

住所:福井県坂井市丸岡町霞町1-59

 丸岡城は1576年に柴田勝豊が築いたのが最初と伝わる。その後、城主は安井氏・青山氏を経て、1613年に本多氏が城主となった。しかし本多氏が四代で改易となったため、有馬氏が越後糸魚川から入り明治維新を迎えている。
 天守は維新後も残り国宝となったが、昭和23年の福井地震で倒壊してしまう。そこで昭和30年に約80%の古材を使って再建され重要文化財に指定された。現在、城は桜の名所として、丸岡町は本多作左衛門の有名な手紙『一筆啓上 火の用心 おせん泣かすな 馬肥やせ』のおせん(本多成重)が城主だったことから、一筆啓上の街として有名である。

(城の鎮守社として建てられた八幡神社)

(天守)

(柴田勝豊が築城の際に人柱としたお静の慰霊碑。お静は息子を侍に取り立ててもらう約束で人柱となったが勝豊が移封されたため約束が守られなかった。そのため藻刈りの時期に雨が降るようになったため、住民はお静の祟りだと考え墓を建てて霊を慰めた)

(石製のシャチ。1948年の福井大震災で棟から落下し、それから天守の入り口に置かれている)

(天守その2)

(天守内部は撮影可能)

(現存天守のため階段は非常に急。一階で登るのを諦める観光客もいた)

(天守の最上階より西側を望む)

(龍神を祀る祠)

(一向一揆に襲われた際、この井戸から大蛇が現れ霞みをかけて城を救ったという伝承がある。そのため丸岡城は別名・霞ヶ城と呼ばれる)

感想:城の駐車場から天守に向かう道には『一筆啓上賞』を取った作品の数々が展示してありなかなか面白かったです。

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龍泉寺(越前府中城主・本多家の墓)

住所:福井県越前市深草1-10-3

 曹洞宗。1368年、通幻寂霊(幽霊の母が飴を買って育てたという出生伝説がある)が開山した。1574年、一向一揆の兵火にあって一時衰退したが、越前府中城主・堀尾吉晴が再興し、江戸時代に越前府中城主・本多家の菩提寺となった。
 1872年、庫裡を残してが解体されたが、1973年に本堂が建て直されて現在に至る。中には福井県最大級の墓石群である本多家歴代の墓、日本で唯一の徳川秀忠と結城秀康の木造などがある。

(山門。府中奉行所の表門を移築した)

(権現堂。徳川家康、秀忠、結城秀康の木造が安置してある。2012年に行ったら説明版が無くなっていた)

(白雲台)

(本堂)

(2004年に訪れた時の本多家歴代の墓入り口)

(2012年現在。門が無くなっていた・・・)

(本多家歴代の一族の墓・四十数基が並んでいる)

(結城秀康や松平忠直らに仕え福井藩を支えた本多富正の墓。高さは4メートル強ある)

感想:富正の4メートルを超える墓を初めとして、ここのお墓はとにかく立派で満足でした。結城秀康らの木像も見てみたかったですが、特別なことがないと見られないでしょうから諦めました。

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