川中島(八幡原古戦場)

住所:長野県長野市小島田町

 戦国時代中期、甲斐の武田信玄は信濃を侵略し、残るは北信濃のみとなった。そのため信濃の武将・村上氏や小笠原氏が越後の上杉謙信に泣きついてきた。律儀な謙信はこれを了解し(他にも越後が脅かされる危険性があるという理由もあったが)、北信濃に1万3千の兵で出陣。武田軍は海津城でこれを知ると1万6千の兵を率いて出陣し、互いに睨み合った。
 ここで武田軍は軍を二つに分け上杉軍の殲滅を狙うが、これが逆に謙信に察知され上杉軍は信玄本隊を強襲。この戦いで信玄は窮地に陥り、弟・武田信繁、諸角虎定などが討死し本陣が危険な状態になるがこれを耐え、別働隊が上杉軍を攻撃してきたので、謙信は仕方なく撤退をし越後に戻った。
 上記の戦いは5回あった川中島の戦いの4回目で、戦国中期の代表的な戦いの一つである。

(武田信玄が陣を構えた八幡社)

(三太刀七太刀跡)

(首塚)

(一騎打ちの像)

感想:有名な場所なので観光客もいっぱいでした。私は面倒で行かなかったですが、妻女山とか行くと戦い全体が分かっていいかもしれません。

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信濃松本城

住所:長野県松本市丸の内

 戦国時代までは深志城と呼ばれていたが、小笠原氏が武田氏滅亡後、城を奪うと松本城と名を改めた。1590年に小笠原氏が徳川氏に従って関東に移封されると、変わって石川氏が入城する。松本城はこの時に本格的に整備されている。
 その後、再び小笠原氏が城主に返り咲いた後、戸田氏・松平氏・堀田氏・水野氏が歴任し、最後は再び戸田氏が返り咲き、そのまま明治維新を迎えた。
 維新後、建物は残ったが、放っておかれたため荒廃してしまう。しかし民間の力で保存の運動が高まり、1910年代に大改修され往時の姿を取り戻した。現在は全国で四つある国宝の城の一つとして松本市の顔となっている。

(天守閣)

(堀)

(高麗門)

(正面から見た天守閣)

感想:現存天守に目を奪われて、そこばかりを撮影したため、あとから見直すと他にいい写真がありませんでした。>< これで国宝の城4つすべて制覇しました。
 松本市はこのほかにも野麦峠の資料などがある『松本歴史の里』など見所たくさんですので、機会があったら行ってみてください。

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諏訪高島城(松平忠輝公館跡)

住所:長野県諏訪市高島1-20-1

 高島城は1592年に日野根高吉によって建築が開始され1598年に完成した城である。諏訪湖と湿地に囲まれ湖に浮いているようだったため浮城と呼ばれた。日野根氏が下野に移封されると、地元の名族・諏訪氏が入り明治維新まで続いている。
 維新後、建物は壊され公園となったが昭和になって復元されている。

(復元天守)

(復元櫓)

(三之丸御殿裏門)

(南之丸跡にある松平忠輝公館跡)

(上杉謙信の娘(?)八重垣娘)

感想:ここは、、、特に印象が無いです。八重垣娘がなんとなく気になりますが、多分俗説でしょう。

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