住所:山梨県甲府市古府中町2611
躑躅ヶ崎館は武田信虎が1519年に石和からここに移してきたのが始まりだと言われている。その後、武田家の中心の城として機能し、武田家滅亡後も近くに甲府城が出来るまで甲斐の中心としての役目を果たしていた。現在は武田神社となっており武田信玄が祀ってある。
感想:館って名前ですが、立派な堀があり、平城としての機能を十分備えていました。
住所:山梨県甲府市古府中町2611
躑躅ヶ崎館は武田信虎が1519年に石和からここに移してきたのが始まりだと言われている。その後、武田家の中心の城として機能し、武田家滅亡後も近くに甲府城が出来るまで甲斐の中心としての役目を果たしていた。現在は武田神社となっており武田信玄が祀ってある。
感想:館って名前ですが、立派な堀があり、平城としての機能を十分備えていました。
住所:長野県上田市二の丸
上田城は1583年に信濃の豪族・真田昌幸が築城した平城である。上田の名が全国に知られたのは1585年に僅か2000の兵で徳川の大軍7000を追い返した時である。また1600年の関ヶ原の合戦の時も徳川秀忠軍35000を釘付けにし秀忠を関ヶ原に間に合わなかったという大戦果をあげた。
大坂の陣後、真田氏は松代に移封となり、代わって小諸から仙石氏が上田城に入った。100年ほど仙石氏の時代が続いたが、1706年に松平氏が入り、そのまま明治維新を迎えている。
現在は真田氏ゆかりの城として全国から真田ファンの方が訪れている。
感想:上田城は真田氏の在城期間が短かったにも関わらず、真田一色でした。城の中では例によって『佐助!』『あいよ!』とかいう素敵な歌が流れていました。
あと『うちは真田の城ですよ、仙石? 松平? ああ、そんなのもいましたね。その二つになんか用があるの?』みたいな感じで他の大名がちょっとかわいそう。近くにあった資料館はさすがにそんなことなかったですが。
上田には他にも真田太平記館というのがありまして、そこもそこそこ楽しめます。ここで真田三代っていうCD買いました。あと、松代城の方にも真田関係のものがたくさんありますので、そちらと一緒に行くと真田が満喫できるでしょう。
住所:長野県長野市篠ノ井杵淵1000
川中島で戦死した武田信繁と両軍の戦死者を弔うために創建された。信繁の墓などがある。
感想:ここは川中島合戦記念館があって信繁関係のものがたくさんありました。ここと八幡原史跡公園はセットで行った方がより川中島を満喫できると思います。