鹿児島県史跡巡り2009(6日目後半:末吉城・龍虎城・霧島神宮)

74.末吉城・・・鹿児島県曽於市末吉町諏訪方字湯之尻にある。築城は鎌倉時代まで遡る。庄内の乱で伊集院方の城の一つとなり、島津軍に攻撃されたが、和睦するまで落ちなかった。
 遺構はあったらしいが、疲れていて探す気力がなかった。

75.宝珠庵城・・・鹿児島県曽於市末吉町深川にある。末吉城より歴史のある城だという。この地域で戦いや紛争がある度に島津家が滞在した。空堀が現存している・・・らしいが、確認せず碑だけ撮影して去った。

76.龍虎城・・・鹿児島県曽於市財部町南俣にある。1500年代初め、財部正信によって築城された。庄内の乱で伊集院方の城の一つとなり、島津軍に攻撃されたが、和睦するまで落ちなかった。現在は公園や学校となっているが、曲輪や空堀などが残っている。公園に向かう途中、復元門があるので、そこから入る。
 しかし龍虎城ってゲームか外国の映画に出てきそうな名前だよなあ・・・。

 これで史跡巡りはお終い・・・だったが、ちょっと時間が余ったので、空港に行く途中にあった霧島神宮による。やたらと看板が出ていたので、有名なんだろうなあ、と思って行っただけ。

77.霧島神宮・・・鹿児島県霧島市霧島田口にある。詳しいことは公式ページをご覧ください。日本神話は苦手で・・・。
 素人の私が見ても格式が高そうなのが分かる。

 これで今度こそ終了。レンタカーを返して空港に行き、愛知県まで戻った。

感想:さすがに6日目になると帰りたくて仕方が無くなっていた。何と言っても疲労が・・・。本当は今回、4泊5日の予定だったが、5日目に大隅半島を廻って空港まで戻るのが予定的に無理だったので、「それならあと1泊してついでに宮崎県南部も廻ろう」と思い、5泊6日となりました。おかげで月曜日の仕事のきつかったこと・・・。ぼ~っとしてて仕事にならんかった。

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鹿児島県史跡巡り2009(6日目前半:鵜戸神宮・飫肥城・都之城)

平成21年3月8日(日)、宮崎県南那珂郡南郷町の宿から出発。

68.鵜戸神宮・・・日南市大字宮浦にある。鵜戸崎の洞窟の中に鎮座している。由緒など詳しいことは公式ページをご覧ください。またここは剣法発祥の地として知られ、相馬四郎義元が「念流」を、愛州移香が「陰流」を御神示を受けて会得したと言われている。
 洞窟の中に本殿がある変わった神宮社。朝早く来たのに若い人も含めて結構観光客がいた。

69.飫肥城・・・日南市飫肥十文字にある。築城年代は不明。1458年に島津氏が伊東氏に備えて、一族を備えに入れたことが記録に残っている。その後、島津氏・伊東氏の争奪戦の舞台となった。1577年に伊東氏が日向から追われると島津氏の所有となったが、九州攻めで島津氏が降伏した後は明治維新まで伊東氏が城主となっている。石垣などが現存している。
 テレビで見て、なんとなく気になっていた城。周りの武家屋敷なども含めて雰囲気が良い。
 この日はちょうど「人力車サミットin飫肥」が行なわれていて、人力車に無料で乗れたらしい(私は利用していないけど)。

70.伊東家墓所・・・日南市飫肥大字楠原にある。飫肥城主・伊東氏歴代の墓所。
 案内も何もなく分かりづらい。神社の奥にある仁王像が目印。

71.祝吉御所跡・・・都城市早水町にある。島津忠久が鎌倉より下向して館を構えた場所。忠久は最初「惟宗」姓を名乗っていたが、地名を取って島津と名乗った。故にここが島津家発祥の地と言われる。

・関之尾公園(関之尾の滝)・・・都城市横市町にある。

72.都城領主館跡・・・都城市姫城町にある。都城領地の政治的中心は都之城だったが、一国一城令で廃城となったため、城主の都城島津家は領主館に移った。遺構は特にない。

73.都之城(鶴丸城)・・・都城市姫城町にある。都城島津家(北郷氏)が1375年に築城した。天正年間に一時、移封されたが、1600年に都城島津家が城主に復帰。一国一城令で廃城となった後は、都城領主館に移った。現在は城山公園となり、歴史資料館が建っている。
 特に見るべきところはなかった。

 これで宮崎県は終わり。次は宮崎県全域を廻ってみたいな・・・。これから鹿児島空港に向かいつつ残った史跡を廻る。

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鹿児島県史跡巡り2009(5日目後半:鹿屋城・高山城・志布志城・秋月種実の墓)

62.鹿屋城・・・鹿児島県鹿屋市北田町にある。別名、亀鶴城。鎌倉時代の記録が残る古い城。鹿屋氏の居城であったが、没落後は島津家の城となり、その後廃城となった。一部は城山公園となっており、空堀などが残る。

 この後に鹿屋航空基地史料館に行こうと思ったが、時間が無くなりそうなのでやめた。知覧特攻平和会館に行ったしな・・・。

63.高山城・・・鹿児島県肝属郡肝付町新富本城にある。高山は「こうやま」と読む。島津氏と大隅の覇権を争った肝付氏の居城。島津氏に屈服するまでここを本拠地として大隅半島を支配した。国指定重要文化財で、土塁・空堀・曲輪跡などが良好に残っている。
 かなり大規模な城。城好きは一見の価値有り。時間の関係で全部は廻れなかったのが残念。ただし交通の便が悪く公共交通機関で行くのはかなり大変。

(入り口はこの碑よりもうちょっと先。駐車場もある)



64.肝付氏累代の墓(盛光寺跡)・・・鹿児島県肝属郡肝付町前田にある。肝付氏の8代・兼重から17代・良兼までの墓がある。
 車で次の目的地に行く途中にたまたま見つけた。

65.志布志城・・・鹿児島県志布志市志布志町帖にある。新納氏・肝付氏などの居城であったが、一国一城令で廃城となった。南北朝・戦国時代の戦乱で規模を拡大し、鹿児島県内屈指の山城となっている。荒れてはいるが、遺構が随所に残っている。
 竹が倒れていたりなど、通りにくいところは多いが、遺構が良く残っており、ここも城好きにはたまらない。

66.肝付兼続の墓・・・鹿児島県志布志市志布志町志布志2丁目にある。戦国時代に肝付氏に繁栄をもたらした名将・肝付兼続の墓である。息子に家督を譲った後、志布志に隠居し、ここで亡くなった。現在は公園の一角に墓がある。
 でかかった。

 ここから宮崎県です。

67.西林院・・・宮崎県串間市西方2714にある。九州攻めで島津軍に味方し、日向高鍋に減封された秋月種実の墓がある。
 ここが非常に分かりづらい。近所の方に聞いたところ、たまたまご存じの方がおられて何とか辿り着けた。また西林院までの道が狭い・・・。

68.櫛間城・・・串間市大字西方にある・・・らしいが、場所が分からなかった。ので、写真はない。
本日はこれで終了。

感想:かなりの距離を走ったのでかなり疲れた。予想はしていたものの予定を詰め込み過ぎたので、鹿屋航空基地史料館も断念せざるを得なかった。
 明日はいよいよ最終日です。

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