山口県史跡巡り2009(2日目前半:大照院・毛利輝元の墓・萩城)

 平成20年12月30日(火)、山口市のホテルから萩市に出発。

12.大照院・・・萩市椿にある。毛利家の菩提寺。初代・秀就~12代・斉広までの偶数代の墓がある(秀就は例外)。
 鐘楼門が工事中だったのが残念。墓所は藩士から寄贈された灯籠がずらり(603基もあるらしい)。さすがは勝ち組。
 墓所が暗くて、とにかく撮影しづらかった。手ぶれしまくること・・・。

13.常念寺・・・萩市大字下五間町にある。ここの表門は聚楽邸の裏門を移築したもの。
 町中だったので車が停めづらかった。

14.天樹院・・・萩市堀内にある。毛利輝元の菩提寺。明治2年に廃寺となったため、現在はお墓だけが残っている。
 灯籠も寄贈してあるし、萩城のすぐ近くと立地条件もいいのに、他の当主と比べるともの悲しい雰囲気を感じる。廃寺になっているせいだろうか。
 しかし藩祖の菩提寺を廃寺にするなんて。事情は分からないけど、やはり良くは思われていなかったのかな・・・。

15.萩城・・・萩市堀内旧城にある。関ヶ原の戦いで防長二国と大幅厳封となった毛利輝元が幕府にお伺いを立てて1604年、萩の指月山に建てた城。当時は五層の天守があったという。
 駐車場から本丸に向かって歩いていると・・・輝元の銅像がある! 萩開府400年を記念して2004年に建てられたものらしい。まあ関ヶ原の戦いでの動向に関していろいろと言われているが、藩祖は藩祖だからね。銅像はあって然るべきかと。

(萩城と言えばこの構図)

 指月山の頂上まで登ろうと思ったが、見晴らしが悪いようなことが途中に書いてあったので辞めた。が、今ネットで調べてみたら萩城下が見晴らせたらしい。天気が良くなかったからまあいいか。

16.旧厚狭毛利家萩屋敷長屋・・・萩市堀内にある。厚狭(山陽小野田市)に領地を持っていた毛利家の屋敷。城のすぐそばにある。

17.萩キリシタン殉教者記念公園・・・萩市堀内にある。五郎太石事件で処刑された熊谷元直と天野元信の碑がある。熊谷元直がキリシタンで信徒を保護したため、五郎太石事件を口実に討たれたと言われている。2007年に教皇により日本殉教者の一人として認定され福者(尊者の徳ある行為あるいは殉教によりその生涯が聖性に特徴づけられたものであったことを証した称号。「カトリック中央協議会」より引用)を与えられた。
 公園と言っても、碑や墓などが狭い敷地内にあるため、子供が遊ぶのは無理。

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山口県史跡巡り2009(1日目後半:国司氏歴代の墓・大村益次郎の墓・周防国分寺)

7.天竜寺・・・宇部市奥万倉黒杭にある。戦国時代には信田丸城主・杉重良の菩提寺となり、江戸時代になると毛利家の重臣・国司氏の菩提寺となる。蛤御門の変の責任を取り切腹した国司親相の墓、杉氏先祖の墓などがある。
 とにかく山の中だった・・・。場所も分かりづらく寂しい雰囲気だった。

8.宗麟寺・・・宇部市小串にある。毛利家の重臣・福原氏の菩提寺。国の名勝に指定されている「龍心庭」が有名。
 行ってみたものの福原氏は11月の特別な日(何の日か忘れた。供養祭の時だと思う)以外は非公開だった。
(龍心庭。この背後に福原氏歴代の墓があるらしい)

9.大村神社&大村益次郎の墓・・・山口市鋳銭司河原にある。
 何となく行ってみた。大村神社は停めるところがあるが、大村益次郎の墓は丘の上にあり、車が一台やっと停められるスペースしかないので歩いて行った方が安全。

10.防府天満宮・・・防府市松崎町にある。日本三大天神の一つ。菅原道真が太宰府に行く際にしばらく逗留したという。大内氏・毛利氏からも大切にされた。
 まもなく新年だったので屋台の多かったこと・・・。屋台を組み立てる時に、上司の方の指示が理解出来ず蹴られている人がいて、
「俺もとろいからああいう仕事したら、ああなるんだろうなあ」
 と考えながらそちらをボーっと見てたら、上司の方がこっちを見ながら来られたのですぐに目をそらして写真撮影した。人をじろじろ見ちゃ駄目だね。

(人が通る場所はみんなこんな感じだった)

11.周防国分寺・・・防府市国分寺町にある。741年に聖武天皇の命によって建てられた国分寺の一つ。楼門は毛利輝元の再建によるもの。蛤御門の変で戦死した国分寺隊の碑や、四国のお遍路の始まりとなった衛門三郎の像などもある。
 衛門三郎の像がここにあった理由は良く分からなかった。真言宗だから? 衛門三郎は伊予の人だからこのお寺とは所縁が無さそうだったけど・・・。

 この後、毛利氏庭園と毛利博物館に行こうとしたけど年末でお休み。山口市内のホテルに向かった。

感想:半分が戦国とは関係ない史跡だった。マイナーな山城でも廻れば別だけど、メジャーどころ廻ると今回の行程じゃあこうなるんだよね・・・。
 明日も似たような比率です。

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山口県史跡巡り2009(1日目前半:赤間神宮・串崎城・大内義長の墓)

 平成20年12月28日(日)、小倉行きの高速バスに乗る。翌日の朝、6時半に小倉駅に到着。あ~、福岡県や。明太子の看板とか見ちゃうとと久々に福岡県を廻りたくなる。
 いかんいかん。今回は山口県だった。
 小倉駅で食事を済ませた後、下関駅に到着。ここでレンタカーを借りる。今回はトヨタのヴィッツ。やっぱりこのくらいの大きさが一番運転しやすいね。

1.赤間神宮・・・下関市阿弥陀寺町にある。壇ノ浦の戦いで亡くなった安徳天皇を祀る神社。耳なし芳一の話の舞台としても有名。
 特に何かあった訳じゃなかったけど、昔来たことがあって懐かしいなって思って。その時に「夜に行くと幽霊が出るらしいから行こう」って言われたけど断った思い出がある。

2.中山神社&愛新覚羅社・・・下関市綾羅木本町にある。尊皇攘夷派の公家・中山忠光と、ラストエンペラー・愛新覚羅溥儀の弟である溥傑が祀られている。
 特に何かあった訳じゃなかったけど、昔来たことがあって懐かしいなって思って。
 前、来た時はすごい山の中にあったイメージだったけど、他の場所と記憶が混同していたようだ。

3.みもすそ川公園・・・下関市みもすそ川町にある。有名な壇ノ浦古戦場の碑や源義経の銅像などがある。
 関門海峡の眺めが良かった。

4.串崎城・・・下関市長府宮崎町にある。大内家の家臣が築き、毛利家の時代になっても引き続き利用されたが、一国一城令により破却された。
 やっと戦国関係の史跡だよ・・・。

5.功山寺・・・下関市長府川端にある。厳島の戦いで陶晴賢を破り、勢いに乗った毛利元就が防長に攻め込んできた際に、追い詰められた大内義長が自害した場所である。その後、長府毛利家の菩提寺となった。
 一般には幕末に高杉晋作が奇兵隊などと共に挙兵した場所として有名である。
 元就に詳しくないので分からないが、ただの御輿だったとは言え、大内義長を攻めたことは反逆にはならないのか・・・? 義隆の時代で大内家は滅んだという解釈だったので、あまり気にされなかったのだろうか。

6.高杉晋作の墓・・・下関市吉田にある。晋作の遺言でここに葬られたという。敷地内に晋作の銅像、奇兵隊士の墓などもある。
 特に何かあった訳じゃなかったけど、昔来たことがあって懐かしいなって思って。
 この墓の道を挟んだところにお土産やさんがあってそこで昼食を取った。「晋作うどん定食」みたいなのがあって頼んでみたら、ご飯の上に梅がちょろっと載っているだけのものだった。何で梅かと思ったら、妾が梅処尼とかいう名前だったかららしい。
 食事していたら突然、お店の方に「やっぱり晋作さんが好きで来られたんですよね?」っていきなり聞かれたけど、晋作さんどころか幕末自体良く分かっていない私はつい「え、ええ・・・いやあ・・・」と曖昧に答えてしまい、何となく気まずい雰囲気になってしまった><
 その後、その雰囲気を変えようといろいろと話した。人気の高い人物なので、ここに何度も足を運ぶ晋作ファンも多いらしい。

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