史跡巡り編です。関ヶ原の戦いについては皆様の方が詳しいと思うので、武将や史跡の説明は省きます。
1.黒田長政・竹中重門(丸山烽火場)・・・金刀比羅神社内にある。この辺りに関ヶ原の戦いに関連した施設を作るとかってヤフーニュースで見た記憶がある。
2.関ヶ原決戦地・・・石田三成本陣の笹尾山近くにある。この近くのコンビニで弁当を買ってベンチに座って食べた。風がきつくてゴミが飛んでかなわんかった。
4.小西行長及び開戦地・・・この辺りでぽつぽつと雨が降って「大丈夫か?」と思ったが、本降りにはならなかった。木から落ちてきた滴だったかもしれん。
5.宇喜多秀家・・・相変わらず薄暗い。ここで一人で古戦場を廻っておられるであろう女性の方と出会った。ここは女性一人だとかなり不安になる場所ではないだろうか。
前回と違って石碑の後ろから突然、人が出てくることはなかった。
6.平塚為広・・・宇喜多秀家の陣から川を渡るとある、、、が戻りが面倒なので、いったん車に戻って遠回りして碑に行った。橘さんの話だと子孫である平塚雷鳥のお父さんだかが建てられたらしい(同じ事が裏に書いてあったはずだが内容忘れた)。
ここでも先ほどの女性とあった。交通の便が悪いから、歩きかレンタサイクルになっちゃうんだろうなあ・・・。
7.大谷吉継の陣及び墓、、、に行く予定だったが、時間の都合でパス。
8.桃配山・・・徳川家康最初の陣があったところ。駐車場の名前が変。家康さんって人の月極駐車場みたいだ。
ここからお隣の垂井町。
9.山内一豊・・・カーナビの設定を間違えてかなり北の方に出てしまって迷った。一度行っていたので、記憶を頼りに行ってみたところたどり着けた。
前は旗があったが、今は御覧の通り。大河が終わればこんなものか・・・。
しかし今日はいい天気だなあ・・・。適度に雲があって写真が映える。
10.浅野幸長・・・う~ん、特になし。この辺りからメンバーの方の疲労が徐々に表面化してきた。
11.池田輝政・・・ここは場所がまったく分からんで探した探した。結局、近所の方に聞いてたどり着けた。隣には室町時代中期に殺された関東管領の遺児・春王と安王の墓があった。こちらは史跡として有名らしい。
この辺りからいよいよ参加者の誰も行っていないメインの日和見組の陣跡。しかし皆さんお疲れモード。
12.吉川広家・・・不破高校の西端にある。これだけしかない。
次の安国寺恵瓊が南宮大社という大きな神社の奥だったので、ここで少しだけ休憩。
13.安国寺恵瓊・・・南宮山ハイキングコースの途中にある。途中に案内もないので、不安で不安でしょうがなかった。ハイキングコースを進むため、山奥に向かうので参加者の皆さんの不安が背中から伝わってきて、余計にプレッシャーが・・・。
でも、間違いなくたどり着けたので一件落着。遺構もあるらしいが、誰も感心がなかったのでパスした。
14.長束正家・・・和菓子屋の奥の原っぱにぽつんと案内板があるだけ。今、写真を改めて見るともの悲しい雰囲気が漂っており、長束さんの最期と重なるような気がした。
15.長宗我部盛親・・・今回の私の中でのメイン。垂井町の栗原という垂井駅から南に3キロほど行ったところにある。
盛親さんは浪人生活の間、何度もここでのことを思い出していたんだろうなあ・・・TT
ここで予定としては終わりのはずだったが、橘さんの希望で垂井城へ。平塚為広の居城だったらしい。解散する垂井駅からすぐだったので、ついでに行ってみた。
垂井城・・・専精寺というお寺さんの駐車場にある。平塚為広がいた以外は不明。碑は御覧の通り立派。
これにて史跡巡りは終了。東に向かう橘さん・秋さん・柳葉さんとは垂井駅でお別れした。
その後、一番遠くから来ていただいた月菜さんにはせめてと思い米原駅までお送りしてお別れした。
感想:緊張していたせいか史跡巡りの最中はあまり疲労がなかったが、月菜さんを送り届けて高速に乗ったらどっと疲れが襲ってきた。事故は嫌なので養老インターで休憩。その後、愛知県に戻った。
車の運転や史跡まで歩くのはいつものことだから大丈夫だけど、「自分が考えたコースを上手く廻れるだろうか? 失敗はないだろうか?」などの不安で精神的に負担が大きかったようだ。しかし年齢も年齢だし、人の先頭に立って何かをするということに慣れないといけないので、自分なりに努力してみた。
楽しんでもらえたのなら良かったのだが・・・。
何にしても晴れて本当に良かった^^