四国一周史跡巡り(2日目:聖通寺城・丸亀城・善通寺・天霧城・仁尾城)

 平成20年4月27日、体力が回復したので、朝7時過ぎから史跡巡りに出発した。

11:聖通寺(しょうつうじ)城・・・香川県宇多津町坂下にある。奈良氏の居城だったが、長宗我部元親によって攻略された。四国征伐後は、仙石秀久に与えられるが、戸次川の戦いの失態ですぐに領地を没収されている。
 この積石塚古墳が城跡の一部。ここは仙石秀久の投石によって出来たという伝承で有名な場所である・・・って案内板に書いてあったけど、まったく知りません^^; 仙石さん、あんまり興味ないので。

12:羽床城・・・香川県綾川町羽床下にある。羽床氏の居城。長宗我部元親に攻められ降伏したが、四国征伐後も領主として生き残った。しかし翌年の戸次川の戦いに参加し、当主が戦死。羽床氏は歴史の表舞台から消えている。
 ここは場所が本当に分からんかった。最初は神社のあるそれっぽい小山に行ったら全然場所が違って、何度も何度も地元の方に聞いてやっとたどり着いた。ごめんなさい、行ってからレポート書く間にどの辺りにあったか忘れてしまいましたので、詳しく場所を説明できません。
 肝心の城は竹だらけで入り口ですぐ行くのやめた。碑くらいまでは行きたかったのだが・・・。

13:丸亀城・・・香川県丸亀市1番丁にある。言わずとしれた現存天守がある城・・・なのだが、天守を見た時、「これ櫓?」って思っちゃった(天守は櫓の発展したものなので、似ていて当然なんだけど)。石垣や門は立派なんだけどなあ・・・。

14:玄要寺・・・香川県丸亀市南条町にある。臨済宗のお寺。
 ここに浅井井頼の墓があると聞いていたのだが、ここ数年で住職さんが立て続けに変わられ、今の住職さんは他のお寺と兼任で玄要寺のことは詳しくご存じなく、見つからず仕舞い・・・。近所の方にも聞いて墓地を一緒に探していただいたが、やはり見つからず断念>< こうやって歴史がどんどん失われていくんだな・・・。
 ここで長宗我部を通して交流がある岩兵衛さんに連絡を取って合流地点である善通寺に向かう。善通寺に着くと奥様とご一緒に待っていただいていた。お待たせして申し分かりませんm(._.)m しかもわざわざ私の史跡巡りの順番の都合だけで、離れた善通寺まで出てきていただいてすいませんm(._.)m

15:善通寺・・・香川県善通寺市善通寺町にある。1558年に近くの天霧城を攻めるためにここに本陣を構えた三好義賢によって焼かれた。空海生誕の地とされている。
 岩兵衛さんと会ったばかりで緊張して、あまりきちんと写真が撮れなかった。私、人見知りが激しいんだよね・・・。

 それから唯一食事を済ませていない私のためにうどん屋に連れて行ってもらいました。食事後に、次はどこに行こうかと考えたが、お寺は早めに閉まるという理由で、善通寺から一番離れた雲辺寺山に行こうということになった(というか、これも私のわがまま)。

16:雲辺寺山・・・香川県観音寺市と徳島県三好市の境にある。私は香川県側からロープウェイを使って登った。四国八十八ヶ所の第六十六番札所にあたる。長宗我部元親がこの寺で「四国の蓋になる」と宣言した逸話はあまりにも有名。長宗我部ファンの聖地(と私は勝手に思っている)。
 この日は残念ながら本堂が修復中だったものの、元親が見たであろう讃岐・阿波・伊予の風景が見られて良かった。こうやって見ると広いな、四国って。ここから見える風景のほとんどを手に入れたのだから元親ってやっぱり偉大なんだなあ・・・。

(讃岐平野。霞んでなかったら最高だったのに)

(本堂。残念・・・。また来よう)

17:西長尾城・・・香川県まんのう町長尾にある。長尾氏の居城。1580年に長宗我部元親がこの城を讃岐攻略の拠点として利用した。
 標高375メートルもある上に時間も無かったので、麓の碑を撮影して終了。近くに長尾氏の墓がある超勝寺というお寺もあったのだが、入り口が分からず断念。

18:天霧城・・・香川県三豊市三野町にある。香川氏の居城。香川氏は三好氏など勢いのある家に属しながら、半独立を保ってきたが、長宗我部元親の攻勢には耐えられず、次男の親和を養子として降伏し、元親の家臣として働いた。しかし四国征伐で香川氏は讃岐を追われて、天霧城も廃城となっている。
 ここは登山をするには危険な場所だと聞いていたので、登るのはパスして遠目に写真を撮るだけにした。その代わり、近くの弥谷寺にある香川氏歴代の墓には行った。

19:仁尾城・・・香川県三豊市仁尾町仁尾丁にある。現在は覚城院というお寺になっている。細川氏の居城だったが、1579年に長宗我部元親によって落とされた。その日が3月3日のひな祭りだったので、この土地では現在でも城主をしのんでひな祭りが8月1日に行われる・・・らしい。
 石垣がちょっと城っぽかったかな。

 史跡巡りはこれで終わり。岩兵衛さんご夫妻とは別れて、宿のある愛媛県の川之江(現在は四国中央市。この名前はいかがなものかという気がするが)に向かった。この日も食事を簡単に済ますと早めに寝た。
感想:史跡巡りが忙しかったのと、緊張して岩兵衛さんとあまり長宗我部トークが出来なかった。それが今回の心残り。機会があれば、岩兵衛さんとゆっくりと長宗我部氏について語り合いたい。何にしても岩兵衛さんご夫妻にはいろいろとお世話になりましたm(._.)mm(._.)m
 史跡の中では何と言っても雲辺寺に行けたのが嬉しかった。今まで二度ほど四国に行ったが、二度とも近くを通ったにも関わらず都合により断念したので、嬉しさもひとしおだったTT
 だが、感動に浸っている場合ではない。まだまだ旅は続く。明日からは愛媛県だ!

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四国一周史跡巡り(1日目:引田城・志度寺・生駒親正夫妻の墓)

 平成20年4月26日、今回のGWも10連休という感謝感謝の休みの量をいただいたので、長宗我部関係の史跡を中心に四国に行くことにした。しかもどうせ行くなら、まとめて行ったれ、ってことで8泊9日かけて香川県から反時計回りで海岸線を一周してやることにする。
 渋滞を避けるために26日午前1時半に出発。4時半にはサービスエリア淡路に到着。
 このまま、第一の目的に行ってもいいけど、5時半に史跡行くほど気合いを入れなくてもねえ・・・と思い、寝た(-_-).。oO 7時に起きて元気に出発。8時半には第一の目的地・引田に到着。いよいよ四国全土の史跡巡り開始だ\(^0^)/ それでは順番に紹介していきます。

1:引田城(ひけたじょう)・・・香川県東かがわ市引田にある。賤ヶ岳の戦いの際、柴田勝家に味方した長宗我部元親の動きを封じるため、豊臣秀吉の家臣・仙石秀久が入城するが敗北。これを秀久が根に持って戸次川の戦いの伏線になったとかならなかったとか。
 港の側にあり、四国上陸の際に使った理由がよく分かる。

2:虎丸城・・・香川県東かがわ市水主にある。長宗我部元親と讃岐・阿波の覇権を競った十河存保が、元親に追い詰められ最後に籠もった城。1584年に、ここを落とされた存保は本州に逃げ、長宗我部氏の讃岐制覇がなった・・・というのが通説だが、四国征伐までここで粘ったという説もある。
 ただの山で案内板も無く、まったく分からない。地元の方に聞いて場所がやっと分かったが、標高373メートルの上に遺構がまったくないらしいので、遠目に見て終わり。写真で分かる通り、そうとうな堅城だったのだろう、ということが想像できる。

3:志度寺・・・香川県さぬき市志度にある。四国八十八ヶ所の八十六番札所。長宗我部元親が志度地方に攻め込んだ際、元親がここの仁王門に入ろうとしたが、乗馬が動かなかった。おかしいと思った元親が金剛力士を見ると後光がさしていたので、ビビった元親は寺を焼くのをやめたという。
 現在の仁王門は1671年に再建したもので、元親が通れなかったものとは別もの。写真の金剛力士、写りが悪くてすいません。ちなみにここには生駒親正の墓もある。

4:十河城・・・香川県高松市十川東町にある。十河氏の本拠地。現在は称念寺というお寺になっている。遺構らしきものは特になし。

5:十河三代の墓・・・上記の称念寺から北方200メートルくらいにある。十河一存・十河存保・存保の息子の千松丸の墓がある。
 綺麗に整備されており、今も大事にされているようだった。荒れ果てている墓も多いからね・・・。

 この後、昼になったのでうどんを食った。香川に来たから、うどんって訳じゃあなく、どこでもあるから入りやすかった。

6:源平合戦古戦場の総門跡・・・高松市屋島東町にある。まあ屋島に来たから源平合戦関係のも行こうかなと思っただけ。他にも周辺に源平合戦関係のものがあったけど、面倒だったのでパスした。

7:喜岡城(旧・高松城)・・・高松市高松町にある。ここの城主・高松頼邑は長宗我部元親に味方したため、四国征伐の際に城を落とされ戦死した。ちなみに頼邑は大坂の陣で活躍した高松久重の祖父にあたる。現在は喜岡寺となっており、頼邑の墓がある。
 お寺の方から高松氏についていろいろと教えていただいた。

8:高松城・・・高松市玉藻町にある。四国征伐後に生駒氏によって建てられた城。良く整備された城だった。典型的な観光名所って感じだった。

9:法泉寺・・・高松市番町にある。生駒一正&正俊の墓がある。近くに西島之友の屋敷跡がある。

10:弘憲寺・・・香川県高松市錦町にある。生駒親正夫妻の墓がある。
 訪れた日の旧暦はちょうど空海が高野山で亡くなった日で、10年に一度の供養会が行われていた。そのため駐車場に車が停められず近くの有料駐車場から歩いて行った。「供養会にも参加してください」と言われて、少しだけいさせていただきましたが、私は信仰心が薄いので、いるのが逆に失礼だと思って、途中で帰らせてもらいました。

 これで本日の予定は終了。時間は14時でまだ余裕はあったけど、移動の疲れをとるために、買い物などを済ませた後、予約していたホテルに行ってゆっくりすることにした。そして20時には就寝・・・。
感想:やはり大型連休の長距離移動は多少無理をしても夜中に出るに限る。おかげでまったく渋滞に巻き込まれなかった。

 虎丸城は地元の方の話だとハイキングコースがあるらしいので、どなたか挑戦してみてください。
 あと8日、健康と事故に気をつけながら乗り切るぞ!

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