北関東史跡巡り2007(2日目後半:佐竹義篤の墓・偕楽園)

 次はいよいよ茨城県に初上陸して佐竹家のお墓がある城里町の清音寺に行った。ここはお墓と言っても鎌倉~南北朝時代のもの。そのため、お墓の風化が激しい。

(佐竹義篤の墓。戦国時代の義篤さんではなく、南北朝時代の義篤さん。このお寺は訪れる方も少なそうで寂しい雰囲気だった)

 お参りが終わると水戸市に向かう。水戸市と言えば、水戸城ということで最初に行ってみるが・・・何もありませんでした。復元された櫓の一つくらいはあるかと思っていた。門はあったけどね。

(水戸城の土塁と碑)

 そしてそのお隣にあった弘道館に行ったが、ここもへ~って感じで終わった。
 最後に水戸市と言えば偕楽園ということで偕楽園に行く(同行者を茨城県に連れてきたのも「水戸市に行けば日本三名園の偕楽園が見られるよ」との口実を設けてのことだった)。
 偕楽園は・・・とにかく広かった。しかし中途半端な季節だったので、綺麗かと言われると疑問なところがあった。

(庭その1)

(水戸光圀。でかい)

(夕日)

 ここで納豆せんべいを買うと、ホテルにチェックインしてまたも飲みに行った。水戸ということでもちろん納豆の唐揚げなど納豆料理を食った。ここで「発掘!あるある大事典2」の納豆ダイエットのせいで納豆が売り切れて、ほぼ毎日食べている私が如何に困ったかを熱く同行者に語った。
 飲み食いが終わると寿司屋に寄って寿司を買い、ホテルで寿司を食べながら「フラガール」を見た後、就寝。

感想:今回は史跡メインだったけど、無理な予定ではなかったので(というか無理な予定を組めなかったので)さほど疲れなかった。運転は人に任せたし。

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北関東史跡巡り2007(2日目前半:那須家六代の墓・細川家墓所)

 2007年10月6日(土)、宇都宮で目が覚める。ホテルをチェックアウトして最初に行ったのが、宇都宮城。釣り天井付きで有名なところである。
 同行者が「復元しすぎだろう」と言っていたが、資料館を兼ねているから仕方がないかな(この日は行ったのが早すぎて閉まっていた)。

(宇都宮城の富士見櫓)

 続いて向かったのが、那須烏山市にある烏山城。織田信雄が流された土地と聞いて気になっていたので。宇都宮から40分ほどで着く。草ボウボウの中をかき分け城を散策する。有名だからもっと整備されているかと思っていたけど、まったくされていないな・・・。遺構はよく残っていたので、山城好きにはたまらん場所だろうけど、ちょっときつかった。

(空堀。写真だと凹凸がまったく分からんな)

 ズボンに草の種をつけながら城を後にすると、近くにあった那須家のお墓がある天性寺に向かう。が・・・間違ってそばにあった泉渓寺に行ってしまった。お寺の方に「那須家のお墓はどちらですか?」と聞いたら「あそこに見える寺にあるよ」と言われて間違いに気がつきました。情けない・・・。
 気を取り直して天性寺に行く。ここは信雄が流された際に織田家の菩提寺だったらしく、信長の位牌があると案内板(?)に書いてあった。天下統一直前まで行った信長の位牌が亡くなってわずか8年でここまで移動か・・・。

(那須家六代の墓。どれが誰の墓なのかは分かりません)

 これで那須烏山市は終わり。続いて同じ栃木県にある茂木(もてぎ)町に行く。町内で最初に行ったのは茂木城。う~ん・・・特に何もなし。すぐに終了。
 ここで12時になったので、城下にあった「まんぷく食堂」に行ってマーボーチャーハンを食べた。通り道にあったので寄っただけだったのだが、これは当たりだった。チャーハンにマーボーがかかっているなんて料理は初めて食べた。
 食事に満足した後に行ったのが能持院。茂木城主だった細川家の菩提寺で、細川興元もここに眠っている。今日はここで野外映画があって「レミーのおいしいレストラン」をやるそうな。夜までいたら見るのもいいんだけどだなあ・・・。

(細川家の墓所。お墓は墓石がなくその代わりに杉の木を植えて灯篭を建てそこに没年号を記すという変わったもの。私も初めて見ました。ちなみに興元の墓の杉の木は枯れて新しいのが植えられていました)

 これで茂木町は終わり・・・にしようとしたが、茂木城にあった案内板に真岡鉄道のSLがあるというのを見て、行こうということになり、茂木駅に向かった。ちょうどSLが停まっており撮影。

(SL)

 これで本当に茂木町は終わり。そこからちょっと移動して今度は益子町に移動する。30分ほどで益子町の地蔵院に到着。

(地蔵院にある宇都宮家の墓所。鎌倉時代から大正時代までの33代に渡る宇都宮家の墓がある。歴史が長い・・・)

 それから地蔵院をぶらぶらと見て回る。この日は風が心地よくて「このまま地蔵院にいて半日ほどゆっくり本でも読んでいたいなあ」という気分になった。しかし予定もあり、そうは言ってられないので次の目的地に向かった。

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北関東史跡巡り2007(1日目:竜頭の滝・華厳の滝・日光東照宮)

 2007年10月5日(金)、三連休+有給休暇を使って栃木県・茨城県・福島県に行くことにした。史跡に興味のない人に一緒に行ってもらうので、すべて史跡巡りという訳にはいかないが、初めて行く土地なので楽しみ。
 5日の午前3時、ETC割引を使うために出発。東京都は混むため、長野県から群馬県に入り、沼田インターで降りる。そこから最初の目的地である日光に下道で向かう。
 が、午前10時頃、その最中に吹割渓という名勝を見つけたので、休憩も兼ねてそこに寄る。東洋のナイアガラというから期待して行くと・・・おお、寄った甲斐があった。

(吹割渓。こういうのは初めて見たので感動した)

 ここでアイスを食べたりして疲れを取ると再び出発。延々続く野菜販売店を横目に日光を目指す。やっと栃木県に入って11時半頃、竜頭の滝の駐車場に到着。歴史とは関係がないけど、滝が好きなので・・・。車を停めて徒歩10分ほどで滝に到着。

(竜頭の滝。なかなかですな)

(休憩所で飲んだ抹茶と塩ようかん)

 竜頭の滝が終わると次は有名な華厳の滝に行く。ここはさすがに観光客がすごいなあ・・・。500円を払ってエレベーターに乗って下に行き、華厳の滝を間近に見る。すごい、さすが落差100メートル。迫力と水しぶきが・・・。デジカメが濡れるよ><

(華厳の滝。写真だと比較対象がないので迫力がない・・・)

 ここは紅葉の季節や雪の季節はいいんだろうなあ・・・と思いながら去った。続いて明智平で景色でも見ようかと思っていたら、道を間違えていろは坂に行ってしまった。一方通行で引き返すことができないので、そのまま下って日光市の中心地に向かったが、峠レース漫画の舞台になるところだけあってカーブがきつい・・・。タイヤがきゅるきゅる鳴っているよTT
 そんなこんなで日光市に到着。運良く駐車場があったので車を停めると、ざるそばを食べて徒歩で日光東照宮方面を目指す。うお、さすがに天下を獲った人の墓があるだけはあってどこも立派だ。まず行ったのは大猷院。徳川家光の廟所があるところである。大猷院から出る途中で「立ち入り禁止(keepout)」の文字が書いてある庭から子連れで堂々と出てきた白人の男性に思わず笑ってしまった。あまりにも堂々としすぎて自然だったので。まったく気がつかなかったのだろう。

(大猷院)

 それから大猷院の隣にあった日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)に行く。ここも立派だなあ。

(二荒山神社の本殿。手前の輪をくぐると願った縁が結ばれるという。ここでラヴァーズの女性が男性に「くぐったら駄目だからね」と注意していた。他の女性と縁が結ばれては困るということなのだろう。微笑ましい光景だった)

(奉納されていた大太刀。長さが2.7メートルあり、重さも7.2キロあるそうな。江戸時代の日本刀が0.9キロくらいなので、普通に振ったら腕を痛めそう)

 そしていよいよ日光東照宮へ。ここは修学旅行生もいて並の人の量じゃあなかった。平日なのに・・・。

(日光東照宮)

(有名な「見ざる、言わざる、聞かざる」。この下で同じ格好をして写真を撮っている人がいた)

 人混みの中を歩いていると眠り猫と家康の墓の入り口があった。別にお金がかかるけど、せっかくだからと思い入った。

(入り口から登って5分ほどのところにある徳川家康の墓。久能山や大樹寺にあるのと形が同じだな)

 これで東照宮は終わり。残りの本地寺や輪王寺に寄った後、天海の銅像を撮影しに行く。

(天海の銅像)

 そして同行者にわがままを行って最後に家光の殉死者や江戸幕府初期の重臣の墓がある釈迦堂に一緒に行ってもらった。ここには譜代の家臣でもないのに藤堂高虎の墓もあった。よほど大事にされていたのだろう。
(殉死者と譜代家臣の墓。地元の人によるとここに来る観光客はほとんどいないらしい。そりゃそうだろうな・・・)

 これで今日の予定はすべて終わり。宇都宮に行き取ってあったホテルにチェックインをして、飲みに行った。行く場所はもちろん宇都宮なので餃子のお店。宇都宮駅前に行くとずらっと餃子を出すお店があった。さすが宇都宮・・・。その中の一つで飲み食いしてホテルに帰って寝た。
感想:最初から最後まで自分一人で運転したので結構きつかった。宇都宮の餃子はやっぱり美味しかった。


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