南東北史跡巡り2007(5日目:最上義光の墓・専称寺・山形城)

 2007年8月16日、旅にはいつか終わりが来るもの。いよいよ最終日である。今日は曇りなので今までよりはちょっぴり楽そう。米沢駅から電車に乗って山形駅に移動する。ここでもレンタサイクルを借りて行動することにした。
 最初は最上家三代の墓がある光禅寺に向かう。が、途中で山形城の三の丸の土塁を見つけたので、まずはそこを撮影。

(三の丸の土塁。誰が見ても土塁)

 それから本来の目的地である光禅寺に到着。ああ、静かだな。一般のお墓参りの方が多少おられるが、観光客はいない。一応、観光名所なんだけどな。

(最上義光の墓)

 次に最上義光の娘・駒姫の菩提寺である専称寺に行く。駒姫はご存じの方も多いと思いますが、豊臣秀次の側室にさせられて、秀次が自害させられた際にわずか15歳で一緒に処刑された悲劇の女性である。
 境内に入ると立派な本堂が。義光の悲しみの深さを物語っている気がする。

(専称寺本堂)

 案内板の従って駒姫の供養塔に行ったが、最近になって建てられたような感じだった。 専称寺を去ると、長源寺に向かう。ここは山形市内であまり評判のよろしくない鳥居忠政さんの菩提寺である。この菩提寺は光禅寺を(当時の)郊外にどかして建てたもの。お墓を探すがそもそも境内に墓地はなく、お寺の方もお盆で忙しくとても聞ける雰囲気じゃあなかったので諦めて去った。
 最後に向かったのが山形城。山形城と言えばあのかっこいい最上義光の像である。中に入ると早速撮影。

(最上義光の像。持っているのは有名な鉄製の指揮棒(1.8キロもあるらしい)。銅像は山形市を狙う直江兼続の魔の手から守るため長谷堂城の方角を向いている)

(最上義光の像と山形城)

 それから城内をぶらぶらするが大したものは無かったので、何となく山形県立博物館に入ってみる。しかし中は古代から近世の山形県の歴史について触れていたので、戦国関係はあまりなかった(当たり前か)。
(熊、ツキノワグマだったっけ・・・? こんなんと遭遇したらそりゃ怖いだろうな)

 博物館を出ると山形城のすぐ近くにあった最上義光歴史館に行く。こんな名前がついているので分かるとおり、義光は山形市では街の基礎を作って善政をしいた大英雄らしい。ごめんなさい、私はあんまり義光のこと良く知りませんでした・・・。
 そんなこんなで歴史館の中に入ると義光を中心に最上家に関する展示物があった。鬼切丸って最上家の家宝だったんだ・・・。最後に「北天の巨星・最上義光」という本を買って歴史舘を出た。ここでグッズがあったら買おうと思っていたが、指揮棒に似せた鉛筆だけ・・・。がっかり。虎将モガミヨシアキグッズ(どんなデザインか最上義光歴史館のサイトをご覧ください)とかあったら買う人がいそうだけど。少なくとも私は買うよ。
 これで史跡巡りはすべて終了。市内で蕎麦を食べて(山形に行くとき、蔵王によく行く人から「山形に行くなら蕎麦を食べた方がいい」と言われていたので)、仙山線に乗って仙台市に戻る。そして仙台空港まで行き、飛行機を待った。あ~、まだ時間があって暇だなあと思って空港内をぶらぶらしているとこんなものを発見。

(チタニウム合金製伊達政宗。日本航空の方が作られたらしい。なんかゲームで出てきそうなんだけど・・・)

 それから待つこと数時間、やっと飛行機が出発。1時間で名古屋に着いたが、着く直前に港辺りで花火大会をやっていた。なんかスタートレック・ヴォイジャーの最終回みたいだ、私たちの到着を歓迎している・・・訳ではないが、印象に残った。

(飛行機から見た名古屋市・・・だと思う)

 そして電車でうちまで帰って就寝。やっぱり我が家が一番だね。

感想:最上義光が山形市ですごい英雄視されているので興味を持った。市民は大河ドラマ「独眼竜政宗」の義光には大いに不満があったことと思われる。義光のことは機会があったら調べてみようと思った。
 史跡巡りと関係がないけど、仙台市の青葉区がめちゃくちゃ広くてびっくりした。あと待ち時間とか考えると飛行機で戻らなくて良かったような気がする。でも、新幹線は(指定席だと)金額があまり変わりない上に、ずっと座ってないといけんのでやっぱり楽か。

今回の旅の感想
1.暑い。言い過ぎじゃなくて殺人的な暑さだった。倒れなくて良かった。
2.お金を使いすぎた。タクシーなんていいもんを使ったせいもあるが、それ以外にもなぜかどんどんお金が減っていった・・・。何に使ったのかさっぱり分からん。ちなみにこの旅のために買ったデジタル一眼と合わせて25万円もかかった。なんじゃそりゃ・・・--;
3.史跡巡りをしているときは「もういい。帰りたい」と思ったが、終わってみるといい思い出になった。またどこかに史跡巡りに出たいな。
4.東北良かった。雰囲気が気に入った。絶対にまた行く。次は7泊8日くらいで北東北の旅かな・・・。さすがに無理か・・・。

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南東北史跡巡り2007(4日目:上杉神社・上杉憲政の墓・林泉寺・前田慶次の供養塔)

 また夢を見た。福島駅から米沢駅に行く途中、車両の右と左のどっちに乗っていけば海が見られるのか、というのを考えていたところで目が覚めた。多分、どっちにいても見られないんじゃあないかなあ・・・。見られたらやばい気がする・・・。

(福島市と米沢市。これじゃあ海はないよね)

 ということで2007年8月15日、福島市で目が覚める。さて在来線で米沢駅に行こうと思って時刻表を見ると「8:31」の次は「12:54」・・・。こりゃあかん、と思い急いで駅に行く。まあ、山形新幹線に乗ればいいんだけど、なんかこの距離で新幹線を使うのは何となく嫌だったので。
 結局、8:31に乗って米沢駅に向かう。しかしなんでこんなに米沢~福島間は本数が少ないんだろう。山形新幹線の影響か?と思っていたら、乗っていてすぐに分かった。何駅か過ぎると民家も無いような秘境のような場所が出てきたのだ・・・。
 やがて赤岩駅というところに到着。ここで人が降りたので「ああ・・・民家は周りにないけど、遠くの集落まで歩いてかよっているのかな。利用している人がいるんだ。失礼なことを思ったな・・・」と思ったら、おもむろに三脚を取り出して撮影の準備をし始めた。鉄さんでした・・・。次の電車まで4時間あるんですけど・・・。何をして待つんでしょうか。
 後で調べたら、どうも福島~米沢間は鉄道好きの間では有名な場所らしい。確かに鉄さんにはたまらんそうな雰囲気だ。

(米沢駅に行く途中の峠駅で売っていた峠の力餅。ホームに見える壁は雪から守る屋根の一部)

 そんな体験をしながら米沢駅に到着。着くと駅は「天地人(2009年予定の大河ドラマ・直江兼続が主人公)」の幟でいっぱい。大河ドラマが決まるとこうなるのか・・・。再来年は盛り上がることでしょう。
 ここでもレンタサイクルを借りて行動することにする。最初は定番の米沢城(上杉神社)。結構な人だった。再来年はどんだけ人が来るのだろうか。

(上杉神社入り口)

 上杉鷹山はやっぱり人気が高くて二つも銅像があった。また米沢城に伊達政宗がいたけど、伊達色がまったくないなあ。あるのは伊達政宗生誕の地の碑くらい。
 上杉神社でお参りした後、宝物館に行く。ここでは有名な直江兼続の愛の兜を見られたのは良かったが、景勝関係のものは私の見た限りでは無かった。予想はしていたけど、米沢城には景勝色もないなあ。がっかり・・・TT
 一通り、米沢城を見て回ると、伝国の杜に入った。中は米沢の歴史を紹介するものだった。休息も兼ねてゆっくりと見て回る。
 それが終わると自転車で林泉寺に行こう・・・と思ったが、地図で上杉憲政の墓のある照陽寺が目に入ったので、そちらに向かう。上杉憲政、あまりいいイメージのある武将ではないですが、生まれた時と周りの状況が悪いのもあったんでしょうね。

(上杉憲政の墓。どうでもいいけど、墓って背景が晴れているよりちょっと曇っているか林の中の方が絵になるな)

 やっぱりこの時期はどこのお寺に行ってもお墓参りの人が多いなあ。とか思いながら、林泉寺に移動する。ここはみなさんご存じだと思いますが、直江兼続のお墓があるところです。

(林泉寺)

 う~ん、ここは予想したよりも人が少なく静かだ・・・。ここは兼続以外の上杉家家臣の墓もあるので結構楽しみにしてきた。それではそれらの一部を紹介しましょう。

水原親憲の墓)

長尾景広

直江兼続夫妻)

 お墓参りが終わると本堂の方に行って中に入ろうと思ったがお寺の方が忙しそうだったのでやめておいた。そして帰ろうとした時、中年の夫婦がおり、夫がタバコを吸おうとしていたので、妻が「境内は禁煙だよ」と注意するが、夫は妻を睨みつけてタバコに火を付けた。おいおい・・・何かあって建物が燃えたらどうするつもりだよ・・・、と思ったが注意をすると何をされるか分からない世の中なので言えなかった。
 そんなちょっと嫌なことがありながら、林泉寺を去って上杉家廟所を目指す。しかし暑い、日差しがきつい、というか痛い!雲が出ないかなあ・・・と思っているうちに上杉家廟所に到着。
 ここはそこそこの人がいた。立派だもんね。さて廟所に行こうか、と思った時にその横の法音寺が目に入ったので行ってみる。中に入ると上杉景勝が亡くなった際に殉死した人の墓を発見。お参りする。

(上杉景勝公殉死者の墓。しかし米沢にある昔の人の墓って墓石が格子状の石小屋?みたいなのに入っている。他の地域で見たことがないけど、この地方の風習なのでしょうか。この方が雨風がしのげて風化から防げるからかな?)

 それから改めて上杉家廟所に行く。おごそかだなあ・・・。雰囲気のいい場所だ。

(上杉謙信廟所。やはり中央の一番目立つところにあった)

(上杉家歴代の廟所)


 さて帰ろうとした頃に、この廟所についての説明が流れ始めた。それによるとここにある上杉景勝の骨は高野山から分骨されたもので、メイン?の骨は高野山の方だそうだ。そうなんだ・・・。じゃあ私は両方行っているので景勝ファンとしてはばっちり・・・なのかな。
 景勝さんと会えたので満足して米沢の観光は終わり・・・ではなく、まだ時間があったのでキヘイジさんに教えてもらった前田慶次の供養塔がある善光寺に向かう。でも、上杉家廟所からだと駅の反対側にありちょっと遠いので、その前に蕎麦屋に寄って食事をする。この近くの交差点で「ここはスウィングガールズで出てきた交差点です」との案内板が・・・。そっか、スウィングガールズって米沢周辺が舞台だったんだ。東北だとは知っていたけど、そこまでは知らなかった。
 まあそれはともかくとして蕎麦を食べて体力を回復すると、善光寺に向かう。だが、分かりづらい場所にあったので、結構迷ってやっと到着。案内板はあったんだけど、知らない土地っていうのもあって・・・。
 なんでここに前田慶次の供養塔があるかというと関ヶ原の戦い後に、ここに住んだらしい。

(前田慶次の供養塔。新しいので最近建てられたものだろう)


 それから再び田園風景を通って米沢駅に戻る。あ~、いいなあ~、こういう風景。出雲のおばばの家の近くを走っているような気分だよ。もう少し涼しければ最高なのだが・・・。
 米沢駅に着いたが、まだ14時で時間がある。しかしたくさんは行けない。ここで選択は3つ、宮坂考古館・上山城・長谷堂城。悩んだけどここはどうしても有名な長谷堂城に行きたくて、わざわざ山形方面に向かった。蔵王駅で降りたら長谷堂方面にバスがあると聞いていたけど、そんなものは無かった・・・。情報が古かったようだ。駅から4キロか・・・。徒歩ではちょっと厳しいので、やっぱりタクシーを使っちゃいました。ああ、またお金が・・・。大金をかけて行くようなところじゃあないけど、関ヶ原の戦いでの激戦地の一つだしな。くうう・・・TT
 着いてみると長谷堂城は思ったよりも小さな丘でとても堅固な城には見えなかった。資料を見る限り地の利を生かした最上軍がよほど善戦したようだ。

(長谷堂城から見た・・・山形市内か?)

 これで史跡巡りは終了。ホテルのある米沢市に戻って、米沢ラーメンを食べると寝た。
感想:今までの3日間がきつかったので、今回は結構余裕を持った予定で動きました。さすがにそろそろ自宅に帰りたくなってきたな・・・。
 しかし鉄さんの情熱はすごいなあ・・・。まあ我々も似たようなものか。何にもないところまで必死で行っているから。
 電車の中で暇なもんで「鉄って言い方はあんまり良くないなあ。上杉家に鉄(くろがね)孫左工門っているから、これから鉄道好きは『まござえもん』っていうのはどうかなあ」とか考えていた。冷静になってみれば(ならなくても)、意味不明で駄目だな・・・。

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南東北史跡巡り2007(3日目午後:蒲生忠郷・斎藤一の墓、会津若松城)

 2007年8月14日午後、乗り遅れたというミスがあり、1時間遅れの電車で郡山駅を経由して会津若松に向かう。磐越西線で電車から外を見ると、平野が広がっており、その先に山々が・・・。いい風景だなあ・・・。余裕があったら猪苗代湖とか観光で来たいな。いや、でももう一回来たら来たで、また史跡巡りをしそうな気が・・・ーー;;
 郡山駅から1時間ほどで会津若松に到着。ここから会津町方伝承館ってところまで歩いていって、またレンタサイクルを借りる。
 まずは会津町方伝承館のすぐ近くにあった蒲生忠郷(蒲生氏郷の孫)の墓がある高厳寺に向かう。

(蒲生忠郷の墓。でかい・・・)

 次は戦国時代とは関係がないけど、会津若松と言えばやっぱり行っとくべきだと思い、白虎隊士の墓に行く。炎天下の中、自転車を一生懸命こいで着くと50段くらいの石段が・・・。もう辛くてそんな元気がなかったので、200円払ってエスカレーターを使った。まだ若いのに、って気もしたが、そんなことを気にしている余裕はなかった。墓のところまで行くと、今までの疲れがいっきに襲ってきてふらふらになり軽く頭痛と寒気がするようになってきた。私、やばいんじゃあ・・・。しかし時間がないので、ベンチに座ってちょっと休憩をした後、墓と周辺の史跡を写して白虎隊士の墓を後にした。

(白虎隊自刃の地から見た会津若松城)

 山を降りてまた中心地に戻り、商店街を走っていると目的地である興徳寺に到着。ここはあの有名な蒲生氏郷のお墓があるところ。またここでは奥羽仕置の際に豊臣秀吉が滞在した寺としても有名・・・らしい。

(蒲生氏郷の墓。この写真だと遠くて分かりづらいが、お孫さんと比べると控えめな大きさだった)

 続いては会津若松でのメイン・会津若松城に行く。張り切って天守閣に行こうとしたが・・・あまりにきつくて茶屋でちょっと休んだ。体力がないなあ、私TT 少し回復したので、会津若松城の天守閣に行く。やっぱり人気があって、すごい人だった。

(会津若松城。会津若松城といえばこの角度)

(会津若松城その2)

 復元天守閣に入ると今回の企画展「戦国武将 加藤嘉明」がやっていた。く~、余裕があればじっくり見たかったところだが、今日は時間がない。さらさらっと見ると天守閣に登って街を写し会津若松城を去った。
 残りの時間も無く、行けるのは近場のどこか一つだけ。迷った挙げ句、自転車を返さないといけない会津町方伝承館に近い阿弥陀寺に行った。中心街を自転車でとばして阿弥陀寺に到着。ここの目的は新撰組の三番隊組長・斎藤一の墓。あと、会津若松城の遺構もあるのでそれもついでに・・・。

(斎藤一の墓。うん、普通の墓だね。まあ近世の方の墓だから当然なんだけど・・・)

 これで会津若松は終了。急いで会津町方伝承館に自転車を返して駅に戻った。ホテルのある福島市に戻るため、郡山方面に向かう電車が来るホームに行くと、すごい人・・・。新幹線に乗るには郡山駅まで行かないといけないため非常に混むらしい。仕方がないので、ぎゅうぎゅうの電車に乗って郡山まで戻った。逆に郡山から福島駅に行く電車はガラガラだった。ゆっくり座って戻った。あんまりきつかったので、食事もそこそこにすぐ寝た。

感想:やはり予定に無理があった。まだまだ行きたいところがたくさんあったが(摺上原合戦に関係した三忠碑、上杉景勝が関ヶ原の戦いの直前に築城を開始した神指城など)、時間と体力の都合で断念した・・・。また来よう。
 あと白石市と同じで会津若松市観光公社の方に非常にお世話になりましたm(._.)mありがとうございましたm(._.)m 会津若松市はとってもいいところですよ。白虎隊や戦国時代の有名人に会える街、会津若松。みんなで会津若松に行こう!!


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