徳川四天王展

 今日は岡崎美術博物館で行われている徳川四天王展を見るために岡崎に行った。でも、その前に撮り直したい史跡がいくつかあったので、まずはそっちを廻った。
 最初は妙源寺。三河一向一揆で家康方に味方し、安藤直次・平岩親吉など、錚々たる面々のお墓がある寺である。前来た時は直次の墓が分からなかったが、今回はすぐ分かった。というか、何で気がつかなかったのか・・・。はっきりと碑に書いてあるのに。あと、こんなにでかかったっけ・・・?

(安藤直次の墓。破損しているのが気になった。周りも荒れ放題だった)

 他にも本多忠高(忠勝の父)の墓などを廻って去り、鳥居氏一族発祥地に行く。途中で迷って渡城にたどり着いたので、取りあえずそれを撮影。それからその近くにあった鳥居氏一族発祥地に行き、撮影。そこに慶長6年(1601年)に亡くなった鳥居重久さんの供養塔があったけど・・・誰なんでしょうか?

(渡城跡の碑)

 そっからまたちょっとだけ足を伸ばして土井氏一族発祥地に行く。ここも前に来たはずなのにかなり迷った・・・。前は自転車だったから気がつかなかったけど、道が狭いな。
 取りあえず朝はこれで終了してまたまたまたまた(以下略)岡崎市立図書館に行って、調べ物をした。いつ来ても徳川家関係は充実しているよなあ・・・。あと土日はいつ来ても駐車場がいっぱいだなあ。それが終わって食事をした後、岡崎美術博物館に行く。
 まずは14時から始まった「日本刀の魅力」という講座に参加した。あんまり(というかまったく)魅力は感じないけど、勉強しておかないといけないので・・・。内容は初心者向けで簡単なものだったが、やっぱり興味がないので途中ちょっと寝てしまった(-.-) 大半は聞いてたんだけどね。歴史が絡むと面白いんだけど、刀そのものの話になると・・・。ハードウェアはどうしても興味が持てないな。
 それが終わると18時から始まる学芸員さんの説明まで時間があったので、大久保一族のお墓がある長福寺に行った。ここは本当に何度も行ったけど、やっぱり写真を撮り直したくて。行くと、お寺の方だと思うが、ちょうど供えてある花をかえておられる最中だった。いろいろ話しをさせてもらっていると、どうも来年に中日新聞などで、大久保彦左衛門の連載小説が始まるらしい。そのせいか、前橋市に続いてまた新聞社の人と間違えられた。やっぱりこのカメラのせいかな・・・。性能はしょぼいのに、プロっぽいカメラに見えるもんな。ちなみに近所で巨大なものを建築中だったので、それも聞いてみると「介護施設が建つらしいよ。この辺りも景観が変わっちゃうね」とのこと。そうなんだ・・・。田園風景の中に建つので違和感があるな。

(大久保忠員の墓)

 それ以外に岡崎市内で行きたいところはなかったので、喫茶店で本を読んで時間をつぶした後、岡崎美術博物館に戻る。そして18時になったところで、学芸員さんに説明を聞きながら中を見て回る。大坂の陣ばかりやっとったせいで、徳川四天王のことはほとんど知らなかったので(大坂の陣時点では全員が亡くなっている)、一度じっくりと詳しい人の話を聞いてみたかったんだよね。「ああ、あそこも行ったなあ」「あの墓も行ったなあ」「あそこは今度行ってみよう」とか思いながら、ついて廻る。特に勉強になったのが、小牧・長久手の戦い~小田原の陣あたりの四天王の立場。前回の高知県立歴史民俗資料館もそうだったけど、プロは違うね。今後はこういうのにも積極的に参加しようと思う。
 それが終わると、今度はじっくりと一点一点を見て回り、岡崎市を後にした。

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高知県史跡巡り2006(後編:長宗我部信親の墓・長宗我部元親の像・山内家墓所)

 平成18年10月22日(日)、この日は朝食を済ますと7時半にホテルを出発。ホテルは高知城に近かったが、まだ空いていなかったので、先に長浜・浦戸地域(桂浜方面)に行く。
 最初に到着したのが、雪蹊寺。元親の菩提寺で、戦死する際に鬼神の活躍をしたと言われている長宗我部信親の墓がある。前に来た時は信親の墓を探しきれなかったんだよね・・・。今回はお寺の方に聞いてばっちりたどり着いた。

(長宗我部信親の墓)

 そして横にある泰神社に行ってここは終了。

(泰神社。後ろは長浜城)

 それからすぐ近くにあった若宮八幡宮に。元親が華麗なデビュー戦を飾る前に祈願したことで有名な場所である。ここの参道には長宗我部元親の銅像があり、一度どうしても見てみたかったので。
 銅像の案内板の方に向かっていくと、草ボウボウだったので、だんだん不安に・・・。しかし銅像はありました。かっこいいねえ・・・。

(長宗我部元親の像。四国を我が手に)

(長宗我部元親の像その2。見ての通り、草ボウボウ。しかも近くにローソンがあるためゴミも目立った)

 ここには良くある元親ノートみたいなのがあり、いろんな人の書き込みがあったがそこには「草を刈れ」と一言だけ書いている人が・・・。まさにその通り。
 しかし他に台座の基礎みたいなのがあったのが気になった。信親か盛親の銅像でも建てるのだろうか・・・。そんなわけないか。
 ローソンで買い物をした後、若宮八幡宮に行きお参りをして、交通安全のお守りを買った。
 続いては天甫寺山にある元親の墓に行く。ここは入り口が狭くて不安だったが、案内板にきちんと「車で入れます」とあったので、安心して入る。

(長宗我部元親の墓。死ぬまでに一回は長宗我部氏の本が出せますように、よろしくお願いします・・・)

 ここでサイレンが鳴って本日のこの地区での運動会の案内放送が流れた。ああ・・・やっぱり山陰そっくり。
 それから桂浜方面に向かい、その途中で一領具足の碑に立ち寄った。長宗我部盛親が改易される際、一領具足(長宗我部氏の下級武士)が抵抗したものの、破れて多数が討ち取られた。これを浦戸一揆と言うが、その供養のために建てられたのが、碑と六体地蔵である。

(六体地蔵)

 再び桂浜に向かう途中にあったのが、浦戸城。長宗我部氏最後の居城で、山内一豊が高知城を築城した際に廃城となった。現在は取り壊した石垣などがあるだけらしい。

(浦戸城跡の碑。この辺りが三の丸)

 車を動かして桂浜に到着。ここは戦国とは関係がなかったけど、高知に来たからってことで坂本龍馬像を見に行った。ここはやっぱり人がすごい。そして像がでかい・・・。観光案内の本には「この先にカリフォルニアがある」とのこと。スケールがでかそうに思える書き方だな・・・。

(坂本龍馬像。等身大)

 これで桂浜付近は終了。市街地に戻り、高知城に行く。ここは予想はしていたが、すごい人・・・。お祭りだもんな。

(高知城とアドバルーン)

(かずとよくんとちよちゃん)

 それから一豊の銅像(前来た時あったかなあ~と思っていたら、10年前に出来たらしい)や門などを見て回り、本丸に行く。

(高知城天守)

 前来た時と比べると中の案内板が新しくなっている気がする・・・。あんまり覚えていないけど。何にしても当たり前だが、山内家関係のものばかりで、関心は薄かった。と思っていたら、通路に突然、一領具足の像(?)が・・・。唐突で良く分からないが、取りあえず撮影。

(一領具足の像)

 それから三の丸の方に戻って、大河ドラマ館に入る。これが同行者の今回のメイン・・・なのかな? ドラマで使われた小道具などを見て回る。そろそろ高知県が出る頃だから、今が一番の稼ぎ時なんだろう。

(中にあった一豊と千代の像)

 講談とかやっていたけど、同行者は興味がないらしく通り過ぎて、高知城を後にする。食事をした後、土佐山内家宝物資料館に向かう。ここは当然だが、山内家関係のものがあり、大河ドラマにあわせて特別展がやっていた。ここでの私の目的は毛利勝永の兜。しかし今回は展示していないとのこと。特別展で展示する場所がなくて倉庫に追いやられたんだろうな・・・TT いいときに来たのか悪いときに来たのか。ここはあまり人がいなかった。本格的な展示物ばかりだから、歴史好きじゃあないと来ないよね。

(宝物資料館の横にある山内神社)

 そこが終わると対岸にある筆山に。山内家の墓所があるところである。この頃になると疲れてきて段々とテンションが下がっていた。とぼとぼと歩いて筆山に到着。墓所の前で受付を済ますと、中に入る。中は結構荒れていて進入禁止区域が至るところにあった。私が「普段は誰も来ないんだろうな」って言うと、同行者は「来る人、いないだろう」と一言。そりゃそうだよね。

(山内家墓所)

 ここで同行者が新しい墓を見て「あっ、この人、長宗我部元親の像を建てた時に名前があった。あとFMラジオのCMでも出てた」とのこと。どうも山内家の当主だった人らしい。よく覚えているなあ・・・。
 これにて今回の旅行の予定は終了。後は帰るだけだったが・・・これからが大変だった。明石までは渋滞もせず、体力的にも問題なかったが、そこからは渋滞して進まないし、眠くなるしで辛かった。大阪市阿倍野区で食事をしたが、この時はしゃべる気力もなく、お通夜みたいだった・・・ーー; 泊まろうかと思ったが、次の日は仕事だったので、無理して帰った。次の日の仕事はフラフラで仕事にならなかった。しかも結局、二人とも体調を崩して水曜日くらいに風邪で会社を休んだ。

感想:二日間で高知県に行くのはやはり無理があった。今回の旅行が史跡巡りの中で一番過酷だった。ある意味、富士山よりもきつかった。愛知から行くには高知県は遠い・・・(距離よりも大阪・兵庫の渋滞が問題)。でも、長宗我部関係の史跡は行けたし、特別展も行けたし、私は大満足だった・・・。私はね・・・。
 これが今年最後の遠出になると思う。これからは忙しくなるし、暇なら暇で家で資料のまとめがしたい。

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高知県史跡巡り2006(前編:徳島城・川島城・岡豊城・岡豊八幡宮)

 平成18年10月21日(土)、長宗我部盛親 土佐武士の名誉と意地を見るために、高知県に行くことにする。長宗我部ファンなのに12年ぶりの高知県・・・。車で行くにはお金がかかるし、公共交通機関だと不便だし、ってことでなかなか行けなかったTT
 前回の群馬行と同じく、ETCの深夜割引を使うために朝の2時半に出発。ちょっときつい・・・ーー; 取りあえずがんばって明石海峡まで一気に行く。ここで日が出てきた。

(明石海峡)

 ここで同行者と運転を交替。それから淡路島を抜けて徳島県に入る。おお!鳴門海峡だ。この時点でまだ朝の6時半。同行者が「吉野川沿いの国道はスイスイ行けるから降りてもいいかも」と言うので、私が「じゃあ徳島城に行きたい」とわがままを言って連れて行ってもらうことに。朝の7時半に徳島城に到着。そこで同行者が一言。「ああ、何度か徳島には来ているけど、よく見る門は徳島城のだったんだ」。歴史に興味なければそんなもんだよね・・・ーー;

(徳島城と太極拳)

 それから蜂須賀家政の銅像が分からなくて迷ったりした後、徳島市を出発。ナビに一宮城があったけど、さすがにそこまでわがままを言えなかった。そしてそのまま吉野川沿いに高知県方面を目指す。しかし途中の吉野川市で模擬天守が見えてきたので、寄ってみた。川島城ねえ・・・。携帯で調べてみたら、林能勝の城だった。高知県にしか行かないつもりだったので、他はまったく調べてなかったんだよね。もちろん撮影する。

(川島城)

 再び国道に戻って、ずっとずっと西に向かう。三好市に着いた頃、私がまたわがままを言って「白地城に行きたい」というと、承諾してくれて行ってもらう。ここは長宗我部元親が四国制覇の拠点とした城・・・だが、かんぽの宿を建てるために遺構を破壊しまくったので、何もない。しかもそのかんぽの宿は今年の3月で閉鎖。じゃあ、最初から遺構を壊してまで建てるなよ・・・。

(白地城跡)

 それからこの近くにある雲辺寺に行きたいと言い、地図を見る。道はあるようだが・・・。そこで同行者が一言。「これはたぶん徳島側から車で行くのは無理だ。四国の山の中にある道を甘く見てはいけない。とんでもない道が多い」とのこと。しかしどうしても行きたいと言って、その道の出発点まで行くが・・・道は軽自動車1台通るのがやっと>< 諦めました。さすがに香川県側から遠回りして行きたいとは言えなかった・・・。
 ということで、今度は同行者の希望で金比羅山へ。うどんを食べた後、がんばって登ってみた。普通は800段くらいのところで終わるのだが、同行者が「最後まで登らないと駄目」と言うので、1400段ある一番奥まで行った。確かにちょっときつかったけど、富士山を登った時のことを思えば、たいしたことは無かった。

(金比羅山から見る讃岐平野)

 香川県はこれだけで終わり。さていよいよ高知県に行くことに。高知自動車道を使って南国市に到着。そして高知県立歴史民俗資料館に行く。誰もいないだろうなあ、と思っていたら駐車場はいっぱいだった。

(高知県立歴史民俗資料館)

 中に入り、受付に言われたとおり、盛親展のやっている地下に行くと、人だかりが・・・。ちょうど学芸員の方が四国征伐の部分から説明をされている最中だった。同行者の許可をもらって、聞くことに。それからゆっくりと、戸次川の戦い・家督問題・関ヶ原の戦い・大坂の陣と悲哀の漂う部分を聞いた。久武親直が、加藤家に仕えた後に長宗我部家再興に動いていたなど、いろいろ勉強になりました。親直は亡国の原因のように言われていますが、彼は彼の立場でいろいろと考えていたんでしょう。
 説明を聞き終わると同行者が「栄光の日々の話がなかったね。最後は寺子屋の先生か。悲惨だね」と一言。そりゃ四国征伐から聞けば、そう思うわな・・・--; でも、学芸員の方の説明が上手で、同行者も、専門用語や家臣名が説明なしでバンバン出てきても面白かったと言ってくれたので一安心。1時間以上の長丁場だったから、聞いている最中、退屈していないか心配だった。
 それから他のフロアもちょちょいと廻って、本を数冊買った後、再現された盛親本陣を撮影して終了。受付の方に「陣羽織などを着て撮影しますか?」と聞かれたが断った。それはさすがに・・・ーー;

(長宗我部氏の本陣。再現っていうのかなあ・・・)

 資料館を出ると、ここが建っている岡豊城の散策に。とは言っても時間が無かったので、さらさらっと廻って終了。私もそんなに興味があった訳でもないし。

(岡豊城跡の碑)

 それから本日最後のわがままとして元親が戦勝を祈願したと言われている岡豊八幡宮に行く。ここが入り口が分からなくて苦労した・・・。しかも入り口から本殿までめちゃくちゃ登らなくちゃ行けなくて、その上、途中に映えていた草の種がジーパンや靴にこびりついた・・・。蜘蛛の巣も多かったし。こりゃ誰も来ていないな・・・。

(岡豊八幡宮の東側入り口。ここからが長いのなんの・・・)

 これにてやっと本日の予定が終了。高知市内のホテルに向かう。高知市は路面電車がある以外は山陰の主要都市と雰囲気がそっくり・・・ーー; 四国は自然の雰囲気が中国地方と似ているせいもあってよその県に来た気がしない・・・。さすが島根県のライバル、高知県。二つの県とも横に長くて人口が少なくて山が多い。そして過疎化が深刻・・・。
 それはともかくホテルでちょっとだけゆっくりすると、ホテルの方に食事をする場所を聞いて、近くの商店街にある「ひろめ市場」に行く。私はあんまりこだわりがないのだが、同行者が土地のものが食べたいというので、時季は違うが鰹を食べまくった。
 帰りに高知の無料就職情報誌があったので見てみる。「仕事が結構あるなあ」と思っていていたら、愛知県刈谷市とか広島県東広島市とかだった・・・。やっぱり山陰と同じで県外に出ないと仕事があまりないんだね・・・。都会の方には分からないかもしれないが、地元が好きでも、したい仕事は県内になくて、どうしても出ないといけないという状況になることが多い。私も地元で仕事を探したけど、結局うまく行かず県外に出たもんな・・・。
 そんなこんなでホテルに戻ると、就寝。明日は高知市内を回ります。
本日の感想:他の県はともかく高知県は知らない土地に来た気がしなかったので、感動がまったくなかった。実家に戻った気分だった。あと、今日は欲張り過ぎて疲れたので、資料館で学芸員の方の話に集中するのに、かなり気合いがいった。

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