越前史跡巡り2004(龍泉寺・一乗谷・柴田神社・越前松平家の廟所)

【準備】2004年5月上旬、RYOさんが福井に日帰りで行かれたことを知り、「意外と近いんだなあ。前から行きたかったから行ってみよう」と思い、GWの代休である26・27日に行くことにする。いつも事前調査がなってなくて失敗するので今回は予定をきっちり立ててみた。決まった予定は武生市→福井市→丸岡町→勝山市→大野市である。がその後にRYOさんのサイトの内容を見てほとんどおんなじところに行かれたのを知った、、、ーー; う~む、まるで真似したみたいだが、有名どころを押さえたらそうなるか、、、。それにその道に熟練した方と同じコースなら間違いなかろう。
【武生】26日の朝6時に出発し下道をずうっと行って武生市に到着。まずは武生市役所にある府中城跡へ。越前松平家の家臣・本多家の居城である。ここは見事に碑しかなかった、、、。のでさっさと去って門が移築された正覚寺を見た後、本多家の菩提寺・龍泉寺へ行く。ここにあった墓石はとにかくでかく数が多い( ゜_゜;) 県内最大級の大きさといううたい文句は伊達じゃあない。
(本多家の墓石群、素晴らしい(^-^))

【遺跡】続いて向かったのが福井市の外れにある朝倉氏の本拠地・一乗谷。着いたらちょうど昼だったので越前朝倉蕎麦を食べた。出雲蕎麦の方が私の好みだがでも美味しかった(^_^ 肝心の一乗谷ですが、のんびりした雰囲気でとても良かったです。ここで一日ゆっくり過ごせば癒されることでしょう。
 その後、近くの一乗滝に行く。そこはあの有名な佐々木小次郎が無理な体勢から繰り出すツバメ返しを編み出したところなのだ。まあ行った目的は滝を写真に撮りたかっただけなんですが。しかし写真は見てもらって分かるとおり失敗、、、。一体どうすれば滝のいい写真が撮れるのだ、、、_| ̄|○
(一乗滝、イマイチだな、、、)

【立て篭もり】続いて福井県立図書館に行く。目的はもちろん越前松平家の家臣たちの資料だ。事前にある程度目星をつけていたので、その本を手に取ってコピーする箇所にひたすら付箋、とにかく付箋、、、。してたら疲れて寝てしまった。起きるとまた付箋、付箋、、、。同じ本ばかりで飽きてきたので、他の本を見てみるとそこに今まで付箋していた本の内容を分かりやすくして載せているではないか\(゚o゚;)/ 今までの付箋を全部取って、分かりやすい方に付箋しなおした。そのせいで1時間ほど損した、、、ーー;
 それが終わって図書館内を物色していると『若越墓碑めぐり』という本を発見。おお!福井にある有名人のお墓がたくさん載っているではないか。これは良い、ということで数箇所をコピーし翌日に回ることにする。しかしこの本には問題があって出版されたのが昭和7年なのだ。場所が変わっている可能性があるため館内のネットで詳しいことを調べようとしたら「インターネットの利用時間は終了しました」と言われてしまった( ̄□ ̄;) まあいいや、寺で直接聞こう、、、。と思ったのが迷走の始まりだった。
 本をコピーし終わったのが19時だったので、そのままホテルに直行。今考えれば漫画喫茶でも行って墓碑の場所についてネットで調べておけばよかったのだが疲れていたので、電話帳で寺の住所を調べてそのまま就寝(-_-)zzz
【柴田のかっちゃん】朝起きて早速ホテルの目の前にある柴田神社(北の庄跡)に。きれいに整備されてて勝家の像もかっこよくて満足。ここはさらっと流して、勝家とお市さんの菩提寺である西光寺へ。
 行って知ったのだがお寺さんは保育園も経営されており、しかも行ったのが8:30だったため送り迎えラッシュで境内の駐車場は混みこみ>< 保母さんに誘導されながら車を停めて墓参りをする。ご迷惑おかけしましたm(._.)m
(柴田神社の前の高架橋にあった絵、最初なにかの落書きかと思った、、、)

【庭には二羽の丹羽親子】その次は顕本寺に向かう。昨日コピーした『若越墓碑めぐり』にはここに丹羽長正の墓があると書いてあるのでそれを信じて行く。が、探してもないので住職さんに聞くと「親子一緒がいいでしょうってことで丹羽長秀のお墓のある総光寺に移しました」とのこと。やっぱりそういうオチなのね、、、ってことですごく親切な住職さんに見送られながら総光寺に移動し、親子二人のお墓とご対面する。
(丹羽親子の墓、仲良く並んでます)

【幸村の首を求めて】続いても同じく『若越墓碑めぐり』に載っていた真田幸村の首塚。大坂夏の陣で見事幸村の首を獲った西尾仁左衛門が供養のために地蔵を建立したものなのだ。後でネットで調べて知ったのですが幸村ファンには有名なようです。私はまったく知りませんでした。
 ちなみに首塚と呼ばれていますが、実際は鎧袖を埋葬したところに建立したもので、首は真田一族に盗み取られることを恐れて、福井の某所に埋葬しており、そのありかは西尾家で一子相伝北斗神拳らしい(-_☆)
 さてそれがあるという孝顕寺に行き聞こうとするが不在、、、。仕方なく裏の墓地に行って探すが西尾家のお墓はあったもの肝心のお地蔵さんがない、、、(ーー;) 打つ手なしで福井市郷土歴史博物館に電話をして聞く。
筑後川「お忙しいところすいません。真田幸村の首塚を探しているんですが」
受付の女性の方「はい? 真田幸村の古墳ですか?」
 幸村の古墳ってなんですか、、、? まあ受付の方は歴史なんか興味がないか、ということで学芸員さんに代わってもらって尋ねる。
筑後川「真田幸村の首塚ってどこにありますか?」
学芸員さん「前は孝顕寺さんにありましたが雨ざらしで可哀想ということでうちに保管してあります」
筑後川「見せてもらえますか?」
学芸員さん「ええ、教育委員会に申請されれば個人の方でも見ることもできますよ」
筑後川「どうすればいいですか?」
学芸員さん「ホームページにある用紙をプリントアウトして申請書を郵送してください」
筑後川「(郵送、、、?ってことはもしかして)今日しか福井にいないんですけど見られますか?」
学芸員さん「申請には時間がかかりますので、、、」
筑後川「じゃあ駄目ってことですよね」
学芸員さん「、、、難しいです」
 これで私の幸村の首探しは終わった、、、。あべし(→o←) 次こそは、、、。
(真田幸村の首塚があった孝顕寺)

【本家には負けない】気を取り直して次は松平家の墓所である大安禅寺に行く。寺はお金を取られることを知り興味なかったのでパスして、タダで行ける越前松平家の廟所に。ここもの墓石もでか!さすが上野寛永寺の徳川将軍家の墓よりも大きいといううたい文句は伊達じゃあない。
(越前松平家の廟所、ここも素晴らしい、、、)

【ミイラ取りがミイラに(とは違うか)】その次は吉田修理(松平家の重臣で大坂夏の陣で忠直の抜け駆けの責任を取って天満川に入水自殺した人)の菩提寺である霊泉寺に行く。が、ここは墓地すらなかったので隣接していた住居を訪ねると住職の奥様が出てこられて「墓地は足羽山にあります。それよりもここのことはどうやって知ったんですか?」と逆に尋ねられたので「『若越墓碑めぐり』という本を見て、、、」というと「ちょっとコピーさせてください」と言われお渡しする。なんだろう?と思っていると、一緒におられた若奥様が「実は寺の由来をまとめようとしていたんですが、太平洋戦争の時の空襲で資料がなくなって困っていたんですよ。ちょうどいいタイミングで来られました」と事情を説明してくださいました。
 その後、他にも昨日コピーした吉田修理の資料をお渡ししました。いろいろお話しが聞けたらと思っていたら、逆にいろいろお話しすることになるとは、、、。そんなきちんとした資料を作るのに私のような人間が出てきて良かったのだろうか(?_?)
 そういえば若奥様から「吉田修理って有名なんですか?」と聞かれて、答えに困ってしまい「忠直の家臣の中では有名です」という意味の分からん返答をしてしまいましたーー; ごめんなさい、本当は歴史ファンにもあんまり知られていないですm(_ _)m
 資料提供が済んだ後、その見返りって訳ではないですが、墓までご案内していただきました(向こうから言われたのでそれに甘えただけです。私が資料をあげたから案内してって言った訳じゃあありません)。足羽山は戦後に市内中から集められた墓があり、霊泉寺さんのお墓もその一角にありました。あんだけ墓があると絶対に一人では辿り着けなかったでしょう。そこで吉田修理さんとお会いしてお寺の方とはお別れしました。
(吉田修理の墓の碑)

【現代のお城】そして次は福井市内のメイン・福井城に。ここはででで~~んと県庁が建ち史跡って言う雰囲気ではなかったですが、とにかく堀と石垣が立派で満足でした。個人的には平城の中ではベスト3に入るくらい良かったです(^ー^) 県庁の食堂で食事を済ますと丸岡を目指す。
【復元城最強】続いては勝山市にある勝山城。最初は本当の勝山城址を見に市民会館に行く。府中城と同じで碑しかない、、、。まあいいけど。
 だがもう一つの勝山城が市の外れにあるのだ。城好きにはいろんな意味で評判の復元勝山城である。そこに行くと、、、おお、すばらしい!でかい!外国の方には非常に受けが良さそうな城ではないか。特に石垣にある竜がヤンキーが好みそうでなんとも言えん、、、。墨俣城では文句を言ったが復元城はそれはそれでありなような気が最近してきた。中に入ろうと思ったが500円は高いのでやめました。
(復元勝山城、でか!復元城の中では最大級のでかさらしい)

【大野城っていうと福岡の方を、、、】そして最後は大野市。ここらへんまで来ると段々たいぎくなってきて帰ろうかと思いましたが、せっかく来たので寄ってみる。大野城の近くに行って地元の人に「天守閣まで車で行けますか」と聞くと「歩いて登るしかない」とのこと。ますますたいぎぃ、、、--; でもまあいいか、と思い登ると道が整備されていて意外と楽だった。
 天守について一通り見た後、思ったのが「あるはずの金森長近の銅像がない、、、」。そこでよくよく探してみると、、、あった。天守台への入り口の横に。入る時は木に隠れて見えなかったんだね。
(金森長近の像、顔でか!)

 山を下ると締めに朝倉義景のお墓に行き、終了。
 大野市から愛知に帰る道は157号(途中すんごい細い道を通って美濃地方に直接入る)と158号(いったん飛騨地方に入り美濃地方へ。道は良い)のどちらにしようか迷いましたが、安全な158号を選択。疲れてふらふらになりながら名古屋に着きました。

写真の提供についてはこちらをクリック