下関・小倉史跡巡り2001(赤間神宮・門司城)

 前々から計画していた下関行きを実行。目的地は、下関市内。メンバーは、うきき様(森&織田派、地元なので今回のリーダー)・こまる様(派閥不明)・筑後川の3人です。
 うお~~!!いきなり寝坊!!7:15分に起きなければいけないところを7:45分に起きてしまった~~。そのせいで新幹線一本遅れてしまった・・・。ごめんなさいでした、うききさん&こまるさん(しかもこまるさんは4時起きだったらしい。本当に申し訳ない)。
 平成13年5月19日(土)午前10時30分(もちろん予定は10:00でした)、下関に到着。御美しいお二人と合流していざ出発。この日もお二人の日頃の行いの良さのおかげでいい天気でした。
まず来たのが桜山神社。高杉晋作が発起人となって創建した神社。晋作自身や吉田松陰など、維新志士396人を祭っている。幕末好きウハウハものの場所です。私は名前見てもさっぱり分かりませんでした。ここには奇兵隊の火薬庫もあったとのこと。

(中山神社)

続いて行ったのが中山神社。幕末の尊王攘夷派の公家・中山忠光を祭っているところ。京都を追われて周防に逃げてきたのだが、20歳の若さで毛利家の方針変更の煽りをくって殺されたそうな。ここでの3人の感想。『二十歳で名を残すなんてすごいね~』。あなたは二十歳の頃、何してました?

(桜山神社)

幕末を満喫すると続いては赤間神宮周辺へ向かう。が、お腹が空いたので近くの食堂で550円のカレーを食べる。みんな:『夜のためにお金を貯めておこう』。(いや、カレーも美味しかったんだけどね)。 そして赤間神宮に。ここには安徳天皇が祭ってある。安徳天皇は平家の世をもたらした平清盛の孫。だが、源氏に追い詰められ壇ノ浦で入水自殺を遂げた。あと、ここは有名な『耳なし芳一』の舞台となったところ。芳一の像のすぐ近くに平家一門の墓もある。

(赤間神宮)

 赤間神宮の前後に日清講和記念館とか旅館の中にあった美術館とか行ったんですが、よく覚えていないのでパス(うききさんかこまるさんのHPを見てね)。時間がかなり余ったので、今度は歩いて関門海峡を渡ることに。海の底に遊歩道あったので、そこから門司を目指す。うききさんの言うとおり酸素が薄かったが、誰も力尽きることなく無事に門司に到着。が、布刈神社を見た後はすることがなく、仕方なく門司で日向ぼっこ。しかしそれも30分もすると飽きてきた、、、。

(門司城)

 私が『小倉城でも行こうよ』と、いつも通り思いつきで言うと、みんな行くところがなかったのかあっさり承諾。北九州市を目指すことに。

(小倉城)

これが100万都市・北九州市の誇り、小倉城。うききさん曰く、『外見は立派だけど中身はつまらない。な~んもない』とのことなので、中には入りませんでした。焼肉したりする人達がいるなど、北九州市民の憩いの場なのは間違いないようです。
 一日目はこれでおしまい。次はメインの河豚(地元ではふく)。ふくちり鍋を頼み、(俺だけ)河豚のお酒を頼む。鍋は美味しかったけど、お酒が、、、。日本酒に河豚の尻尾が入ってて、それに火をつけて飲むんだけど、なんかねえ、私には合わなかった。この後、また関門海峡の夜景を見るために赤間神宮へ。その後、小倉駅で3人は解散。翌日のためにすぐに寝ました。
 翌日、下関駅に10時に無事到着。ふう、今度は遅れなかったぞ。駅の古本屋にちょこっと寄った後、長府へ。長府はその昔、毛利藩の支藩があったところ。駐車場に車を停め、古い街並みを満喫しつつ、長府を散策する。

(毛利光弘のお墓)

 まず行ったのは笑山寺。毛利元就の妻・乃美大方の菩提寺だったが、江戸時代に長府毛利家の菩提寺に。上記の写真は毛利光弘のお墓。墓の横におられるのが、こまるさん。めっちゃでかかったので比較のために立ってもらいました。大きさは西日本一らしいです。
 続いて行ったのは功山寺。数々の歴史の舞台となった場所。陶晴賢を倒した毛利元就が余勢を駆って防長に攻めこんだとき、支えきれなくなった大内義長終焉の地である。他にも毛利家の菩提寺、維新回天始まりの地、など様々なことに関わっています。
 その中にあった大内義長の墓。枯れは大友宗麟の弟で大友晴英と言った。陶晴賢が手違いで殺してしまった大内義隆の息子の代わりに連れて来た。もちろん傀儡。
 大内氏が毛利元就に攻められたときに元就は彼を助けて大友家に返そうしたが、宗麟は、『弟の命はどうでもいいから大内家に伝わる名器・瓢箪茶入をくれ』と答えたという。人の命が茶入より軽いとは。ああ、無情ですなあ、、、。

 次に行ったのは乃木神社。。日露戦争で大活躍された乃木希典大将と静子婦人を奉ってある。時代が時代なら山本五十六とかも神になっていたんですね。ここには宝物館があり、乃木大将が趣味で集めていた石がたくさん展示してありました。

(乃木夫妻の像)

 長府観光会館でお土産を買うと、最後の目的地・東行庵へ。そこはあの高杉晋作が眠っておられる地。庭園や資料館などがあるとのこと。長府から結構ありました。下関市広いですね。

(高杉晋作の墓)

 幕末の人気者なので訪れる人が今も絶えない。庭も結構広くてデートにも最適。資料館には晋作の鎧など、幕末関係が多くて大満足でした。
感想など:あんまりツアーがない下関なんだそうですが、見所たっぷりでしたよ~。特に幕末好きはもう何日いてもいいくらい。あと、回ったところが多すぎてはしょっている部分が多いです。それらが知りたい方は、うききさんのHPを参照してください。
 あと河豚なんですけど、二日目に食った1500円の河豚定食の方も美味しかった。一日目と二日目でいろんな河豚料理を楽しめました。
 知らないことだらけだったので、勉強になりました。それにしてもみんなよくいろんな時代のことしているのね、、、。尊敬。

写真の提供についてはこちらをクリック